笑み曲ぐ君と


世の男どもがそわそわする、女の子がわくわくする、それはヴァレンティオン・デー。

「カルルグ♪」
「ぐ、グランツ!」
「「はい、チョコレート!!」」
白門の酒場街、いつものリンクシェルの面々が集まっているところに、リューンとリココが揃ってそれぞれの相手にリボンのかかった白い包みを差し出した。リューンはいつもと変わらずの笑顔だが、リココは緊張しているのか、顔を真っ赤にしている。
「おぉ、ありがとう」
「わー、ありがとうございます!」
カルルグとグランツが笑みを浮かべて受け取る。キースが冷やかすように口笛を吹いた。
「ひゅー、お二方やるねぇ」
「キース、リューン姐さんの料理の腕前って……」
「おいばかやめろ」
「何か言ったかしらぁ?」
「いや、何も!」
慌ててリルカナルルカの口を押さえ、キースは冷や汗をかきつつ笑う。リューンもにっこりと笑うと、また別の包みを目の前に差し出した。
「はい、あげるわ♪」
「「えっ」」
「なぁにその顔。大丈夫よ、今年はミシィがつきっきりで面倒みてくれたんだから、失敗しようがないの!」
少し拗ねたように唇を突き出すリューンに続いて、リココも小さな包みを差し出した。
「あ、私も私も、義理チョコあげる!」
「清々しいまでに義理チョコって断言されたなあ……」
「なによ、いらないの?」
「チョコレート様! ありがたき幸せ!!」
「情けないぞリルカ……」
チョコレート一つにへいこらするリルカナルルカを見て、涙を禁じ得ないキースだった。
「まあ麗しの女性陣からいただけるんなら俺も嬉しいがね、今年もミシィ監修かい?」
「ええ、チョコ削るのは私がやったのよ♪」
そのレベルか。突っ込みたいのを懸命に抑えるキース。
「今年もこんな豪華な義理チョコくれるなんて、リココさんは天使みたいっす!」
「て、天使って……!」
「お前のその鈍感さはほんとに罪だよなあ……」
「へ?」
ますます顔を赤くして照れるリココの横で、きょとんとするグランツ。まあこれはこれで幸せそうな二人なのでほっとこう。カルルグとリューンの熟年夫婦は言わずもがな。
「ところで、今一番アツい二人は今日は来ないのか?」
「ああトーリとミシィ? トーリはなんかフレと会ってから来るみたい、ミシィもそっちに顔出すって」
「へぇ、トーリにも新しい友達できたんだな」
「今度紹介してもらいましょ、お酒好きらしいからうちのメンバーとも気が合いそうだわ♪」
「確かに」
くすくすと笑いあって、二人はそれぞれの酒に口をつけた。

「はい、トーリくん」
アトルガン白門は蛇王広場の噴水前にて。目の前に差し出されたそれに、トーリ・ココノエは思い切り苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。
豪奢な作りの箱を差し出しているケルヴィン・ハルトマンはいつも以上ににっこりと笑っている。その笑みがどうしても腹に一物あってのもののように思えて、トーリは渋面のまま返答した。
「いらん」
「え〜、この日のためにジュノの名店に並んだのよぉ」
見ると、箱に入ったロゴは確かにトーリですら聞いたことのある名店のものだ。確か大公御用達とかいう、高級菓子で有名な店である。
ますますしかめっ面をして、トーリはつっけんどんに言った。
「なおさらいらん。そんな高そうなものもらういわれはないぞ」
「色気がないわねぇ」
「お前との会話で色気出してどうする!」
ケルヴィンはため息をついて、
「今日ヴァレンティオン・デーでしょ? いつもお世話になってるからそのお返しのささいなチョコレートじゃない、心良く受け取ってよ」
「世話した覚えはないし、それ絶対ささいな金額でもないだろ」
「意固地ねぇ、ものの例えじゃないの。い・い・か・ら、受け取りなさい!」
「い・ら・ん!!」
しばらく二人の間でチョコレートの攻防戦が続く。
「はぁ、もういいわ」
らちがあかないと踏んだのか、
「ミシィと食べちゃうんだから。美味しいわよぉ、きっと」
「勝手にしろ」
「勝手にするわよぉ。ミシィに貰えるのが確実だからって余裕こいちゃって」
「……う」
図星をつかれて、トーリは黙り込んだ。
「まったくラブラブなんだから。普段から好き好きーとか言ってもらってるんでしょ」
そこで、はたとトーリの表情が固まった。その顔色が段々と青くなっていく気がして、ケルヴィンは怪訝そうに彼を見た。
「どうしたのよ」
「好き……?」
トーリが思案げに額に手を当てる。深刻な表情になった彼を見て、さすがのケルヴィンも少し慌てた。
「あの、どうかして、トーリくん?」
「……好きだって」
そういえば、告白の返事をもらったときも。初めて体を重ねたときも。あのときもこのときも。
「好きだって、言ってもらった事が、ない……」
「は?」
その言葉にケルヴィンが目を点にする。恨めしそうな顔でトーリはケルヴィンを睨んだ。
「なんて事に気づかせてくれたんだ、お前のせいだぞ」
「ちょっとー、八つ当たりはやめてよね!」
「あぁ……気づかんでいい事に気づいてしまった……」
ため息をついて沈み込むトーリに半ば呆れて声をかけるケルヴィン。
「深刻になりすぎよぉ」
「お前にわかってたまるか」
「だいたい、それは今まで好きだって言葉で言ってもらう以上に好意を受けてたから、気づかなかっただけでしょ? そんなに思い悩む事ないわよ」
「う……」
「それで図星つかれたような顔されるのも、それはそれでムカつくわぁ」
にっこりと笑うケルヴィンの額に青筋が浮かんでいる気がして、トーリは視線をそらす。
「なによぉ、結局ラブラブって事じゃないの。ミシィにチョコレートでもなんでも貰いなさいよ、もう」
「いや、その、なんだ……すまん」
「そこで謝られるとますます腹が立つわね……」
うぐ、と言葉に詰まるトーリ。二人が膠着状態に陥ったところで、それに割って入る明るい声がした。
「いたいた、兄さん、ケルちゃん! ハッピーヴァレンティオン!!」
駆け寄ってくるミスラの少女。
「あらミシィ、ハッピーヴァレンティオン!」
「……よう」
ケルヴィンは明るい、トーリは暗い声で彼女を迎える。
「ミシィ、ジュノでチョコレート買ってきたのよぉ、トーリくんいらないって言うから二人で食べましょ」
「あれ、兄さんチョコ嫌いだっけ」
ぱちくりと瞬きするミシィに、地の底から這って出るような声でトーリは答えた。
「……嫌いじゃない」
「どしたの、暗いなぁ」
「いつもだいたいこんな感じでしょ。さ、チョコ食べちゃいましょ」
「う、うん」
すました顔で腰掛けてチョコレートの箱を開け始めるケルヴィンに、トーリは恨みがましい視線を送った。なんだか様子がちょっと変、ミシィは首をかしげる。
「あ、私も二人にチョコレート作ってきたんだよー。皆で食べよう!」
二人に。皆で。トーリの仏頂面に拍車がかかる。
「……俺は帰る。昨日ビシージだったから眠い」
「え、え、兄さん?」
きびすを返すトーリを追いかけないと、でもケルヴィンを置いていくわけにも、とおろおろするミシィに、ケルヴィンが呑気に声をかけた。
「ほっときなさい、ちょっと拗ねてるのよ、きっと」
「え、なんで?」
「拗ねてない!」
振り返らずに答えるトーリを、ミシィは思わず追いかける。そのままいつものように肩に手を伸ばした。
「にいさ──」
その手は振り払われた。驚きと混乱がないまぜとなった表情のミシィを見て狼狽したような顔を浮かべると、トーリは慌ててその場を立ち去った。
「え、え、なんで……」
「まったく子供なんだから」
愕然として動けなくなっているミシィのすぐ後ろに来ていたケルヴィンが、苦々しげにつぶやく。
「ケルちゃあん、私、何かしたかなぁ……?」
「よしよし、ミシィは悪くないわよぉ。後でチョコレート持ってレンタルハウス行ってあげなさい」
泣き出しそうな少女の頭を優しくなでてやる。
「そうねぇ、好きだってちゃんと言ってあげると、効果抜群かもね」
「へ……?」
「せっかくのヴァレンティオン・デーなんだから、たまには好きって言ってあげてもいいでしょ?」
「う、うん……?」
ウインクひとつよこしてやると、ミシィは不思議そうにうなずいた。

「やってしまった……」
アルザビ人民街区のレンタルハウス。書物とスクロールに溢れた中、勝手に持ち込んだちゃぶ台に両肘をついて、トーリは深く深くため息をついた。
好きだと言ってもらってないとか、チョコレートをケルヴィンと一緒に食べようだとか、そんな程度でミシィに八つ当たりをしてしまった。優しくしたいのに。
「あいつ今頃泣いてるんじゃないか……」
頭をかきむしる。いや、意外とけろっとしてケルヴィンとチョコレートをつまんでいるかもしれない。それはそれで嫌だ!
「……わがままだな俺は」
自嘲して、またため息をつく。謝りに行かなければいけないが、とてもとても気が重い。
まだケルヴィンと一緒にいるだろうか、もしそうならまた八つ当たりしてしまいそうでもある。あいつがいると素直になれない、いや、それはケルヴィンに責任をひっかぶせているだけだ。素直になれない自分が悪い、わかってはいるのだ。
それに素直になって、謝った後。何を言えばいい?
「好きだと言ってくれないかなんて、絶対言えん……! 恥ずかしい! 死ぬ!!」
シミュレーションしてみて恥ずかしさに思わず身悶えし、その場に突っ伏す。
その時、リココからリンクシェル通信が入った。
「トーリ、今日は飲み来ないの? 私たちチョコレート渡そうと思ってたんだけど」
またチョコレートだ。そりゃそうだ、今日はヴァレンティオン・デーなんだから。
「……あー。すまん、今日は遠慮しとく……」
「そう? じゃこっちで食べちゃうわね。ミシィに本命チョコ貰いなさい、あの子頑張ってたわよー」
「おう……じゃあな」
リココに意図はないのだろうが、責められているようで居心地が悪い。一方的に通話を終えて、リンクパールを外す。そしてまたため息。
去年まで、ヴァレンティオン・デーはミシィがチョコレート菓子を作ってくれる日でしかなかった。
トーリは兄で、ミシィは妹。二人ともその域を出ないまま、ままごとのようにじゃれ合っていた。
想いを認めて、告白して、返事を貰えて。
こんなにも多くの人に溢れているヴァナ・ディールで、二人が同じ想いだという事が奇跡だと今は思える。だから、それを強く確認したい。
ミシィに好きだと言ってもらいたい。
女々しいと言われようとも、その思いは事実だ。ただひたすらに恥ずかしいだけで。
──お前は俺の事を、どう思ってる?
天井を仰いで、トーリは何度目になるかわからない、長い長いため息をついた。
その時、ノックの音がした。
ぎくりと体をこわばらせて、トーリはドアを見た。ミシィか?
しかし彼女は合い鍵を持っているはずだ。となると。
訪ねてきそうな人物が皆目検討つかない。元々そこまで深い仲になっている人数が少ないのだ。まさかケルヴィンでもないだろう。
逡巡していると、またノックの音がした。
えいくそ、もう誰でもいい。
乱暴に立ち上がって、混乱の極みにある床の上を慣れた様子でドアに向かう。
ドアノブをひねってドアを開け放つ。そこには。
合い鍵を持っているはずの妹分が、しょんぼりした様子で立っていた。うつむいていて、ミスラ特有のいつもはぴんと立った耳が垂れている。
「……ミシィ?」
「……中、入ってもいい?」
「お、おう」
なんとなく迎え入れてしまった。ちゃぶ台を囲む。
そこまではいいが、視線を合わせてくれないミシィにかける言葉が見つからない。謝るなら今が絶好の機会だ。わかってはいるのだが。
「……合い鍵持ってるだろ」
どうでもいい事を聞いてしまった。
「うん……でもちゃんと中に入れてもらいたかったから。ありがと」
なんでそう可愛い事を言うのか。
「兄さん」
ミシィがきっと顔を上げて彼を見た。泣き出しそうに揺れている瞳。
「私の事、嫌いになった?」
「……はぁ?」
耳を疑って、ああでもそんな誤解をさせてもしょうがないのかと思い直す。
そしてここで返答をしくじれば、事は完全にこじれるだろうという事に思い至って、トーリの顔が青ざめた。
しまった、適切な言葉が出てこない。
言葉を探している間にも、ミシィの顔がますます悲しそうに歪んでいく。
そんな顔をしないでくれ。俺は、俺は──
「好きだ」
言葉をついて出たのは、その一言だった。真実の一言。
「お前が好きだ。呑気そうなところも、妙に敏いところも、言葉が足りないところも、一人で頑張りがちなところも、美味い飯を作ってくれるところも」
ミシィの顔が、みるみるうちに赤くなっていく。
「俺は、お前が好きだ」
一息に言いきって、トーリは続けたい言葉を続けていいのか迷った。
──お前は俺の事を、どう思ってる?
やはり恥ずかしい、もうそんな事を言っている場合ではない程恥ずかしい事を言った気もするが、それは棚上げだ。
「兄さん……」
ぽろっと、ミシィの目から涙がこぼれ落ちて、トーリは慌てる。
「なんで泣く!?」
「あ、ごめ……」
ぽろぽろ、ぽろぽろ、大粒の涙をこぼしながら、ミシィがようやく笑った。
「嬉しい。ありがとう、兄さん。──大好き!」
「……おう」
やっと聞けた。胸の中がじわりじわりと幸福感で満たされていく。自分まで涙ぐみそうになって、トーリは慌てて顔を引き締めた。
笑顔も、泣き顔も、等しく愛おしい。そんな少女が、側にいてくれている。好きだと、言ってくれている。
これ以上のものがあるものか。
「チョコレート作ってきたの、食べてくれる?」
「当たり前だ」
「ありがと!」
涙を拭って、ミシィが背嚢から包みを取り出す。赤いリボンでラッピングされた、一目でプレゼントとわかる包み。幸福感の真っただ中にあって、それを受取ろうとすると。
「あ、ちょっと待ってね」
もう一本赤いリボンを取り出すと、ミシィは自分の首に巻き付け始めた。首元でちょうちょ結びをしたが、結び目が縦になっている。
「あれ、うまくいかないな……まあいいや」
「お前……何やってるんだ?」
呆れて声をかければ、ミシィが平然と答えてきた。
「え、プレゼントだよ?」
「は?」
「じゃじゃーん! 今年はチョコと一緒に、私もプレゼント!」
トーリを迎えるように両手を広げて、明るく言い放つ。トーリの頭が真っ白になる。
「あ、あの……兄さん? 反応してくれないと恥ずかしいんだけど」
は、と正気に戻ったトーリが、にやりと笑う。
誰の入れ知恵かは知らないが、乗ってやろうじゃないか。
「お前もプレゼントに入ってるって事は、そういう事だよな?」
「へ?」
「よしわかった。先にお前を食べてから、チョコレートもいただくとしよう」
「へ、へ?」
にじり寄るトーリ、事態を把握できないミシィ。ようやく合点がいったのか、その顔が真っ赤になる。
「……あっ、ちが、そういう意味じゃなくて!」
「知るか。大丈夫だ、余すところなくいただくから」
「えっ、えっ」
混乱の極みにあるらしい少女に、軽くキスを。ますます顔を赤くしたその体を押し倒して、トーリはにやりと笑うと舌なめずりをした。
「いただきます」

翌日、ベッドの中でトーリは目覚めた。
頭はすっきりしているが、腰の辺りがやや重い。頑張りすぎたか。
隣でまだ眠っているミシィを起こさないように気をつけながら、ベッドから出る。
水を飲みながら部屋に戻ると、ちゃぶ台の上の赤いリボンの包みが目に入った。
結局ヴァレンティオン・デーに食べてもらえなかったチョコレートが恨めしそうにこちらを見ている気がしてトーリは苦笑いする。
「お前も食べてやらなきゃな」
包みを開けると、つやつやと美味しそうなチョコレート菓子がいくつも入っている。そのうちの一つをつまむ。甘い。まあ、ミシィの方が甘いけれど。
「いやいや」
自分で自分の考えに照れて突っ込みを入れる。ミシィが起きてくる前で良かった。
ミシィが起きたら、朝飯を一緒に食べよう。今日も一緒に、多分これからも。
それは多分、幸せという概念そのものだ。ベッドの中でまだむにゃむにゃと寝言を言っている少女に軽くキスをして、トーリはひそやかに笑った。


"I love you!" is over!
実際のヴァナ・ディールでのヴァレンティオンデーは、男女関係なくチョコレートを渡すのですがまあそこはそれとして。

トーリとミシィは前作の直後に一線を越えてます。その部分は同人誌に収録済みです。
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