とろけるような


たとえば、名前を呼ばれるだけで。

「トーリくん!」
アトルガン皇国白門、アルザビ港。海釣りを楽しんでいたトーリ・ココノエは名前を呼ばれてびくりと肩を震わせた。正直あまり会いたくないというか苦手な人物の声だ。
ぎぎぎ、と音を立てるようにゆっくりと振り返れば。
「はぁい」
果たして、声の主ケルヴィン・ハルトマンがそこにいた。いつものごとくにこにこと人好きそうに笑っているが、なかなかどうして食えない男だとトーリは知っている。
「……よう」
「釣りしてるの? 隣いい?」
「嫌だ」
「はいはい、ちょっと失礼するわねー」
女言葉にも慣れてしまったが、この強引さには未だ慣れない。
「……聞いた意味ないだろ」
「まぁね」
仏頂面でつぶやけば、ケルヴィンは何がおかしいのかくすくすと笑った。そのまま紙巻き煙草を取り出して火をつける。
「一段落したらトーリくんも吸う?」
「いただこうか。……煙草はあまりやらんのだが」
「酒は強いのにねぇ」
「脈絡ないだろ」
「あらほんと」
またくすくすと笑うケルヴィン。よく笑う男である。トーリは滅多に笑わないので、少し感心するところもある。
デニズアナスを釣り上げてしまったところで――しっかりケルヴィンに笑われた――、釣りを中断して二人して一服する。
彼の煙草から火をもらえば、二人分の紫煙が海風に流れていく。
唐突にケルヴィンが切り出した。
「トーリくん、ミシィに告白したんですって?」
「……あいつそんなこと話したのか」
苦々しげに答えれば、
「怒らないでやってよ。あの子、アンタとリンクシェル同じでしょ。共通の友人ばっかりだと、かえって相談できる人に困るもんよ?」
「お前も似たようなもんだろ」
「あら、友達と思ってくれてるの? ありがと〜」
苦虫を盛大に噛み潰したような顔でトーリはそっぽをむいた。
「まあアタシはリンクシェルも違うし、共通のオトモダチとは何かちょっと違うんでしょうねぇ。それはそれで寂しい気もするけど」
そこで言葉を切って、ケルヴィンは深く煙を吸い込み、吐き出した。珍しく真面目な顔でまっすぐ前を向いて、
「あの子、すごく幸せそうな顔してた」
「……」
「アタシもちょっとだけ、ちょっとだけね、狙ってたんだけどね〜。怒らないでよ、トーリくんのこともちょっとイイなって思ったのはホントよ?」
「どこからどうつっこめばいいのかわからん……」
くすくす、ケルヴィンが笑う。
「まあ幸せにやんなさいって事よ、ミシィにも同じ事言ったんだけど。兄とか妹とか、吹っ切れたんでしょ?」
「……お前に言われんでも幸せにするさ」
「あら男前」
「茶化すな。……ただなぁ」
「ん?」
こちらをのぞき込んできたケルヴィンに、少し弱音を吐いてしまおうか。
「返事もらってないんだよ。好きって言われたわけでもないしな」
「……どうしましょ、のろけにしか聞こえないわ……」
「違う!」
「まあ時間が解決するわよ、アンタちょっとくらいなら待てるでしょ?」
ミシィに待つと言った手前もあって、うぐ、と言葉に詰まるトーリ。ケルヴィンがにやりと笑った。
「待ちきれなくなってこじれちゃったら、連絡ちょうだいねぇ、兄妹丼の機会到来って事だから!」
「絶対言わねえ!」
アハハ、と笑ってケルヴィンは吸い終わった煙草を携帯灰皿に収める。
「ま、幸せになんなさい」
その目があまりにも優しそうだったので、それ以上反論する気も失せた。
「じゃあまたねぇ」
「……おう」
ひらひらと手を振ってその場を立ち去るケルヴィンをなんとはなしに見送って、トーリは再び海釣りに戻った。

「よう、トーリ」
時と場所は変わっていつもの酒場。酒をたしなんでいたキースに呼ばれたトーリは、手を挙げてそれに答えた。
「ここにいましたか、キース」
「ん、俺の事探してたか?」
ええまあちょっと、と言ってトーリはキースの向かいに座った。今日は彼に連れはいないらしい。
「どうした?」
「……この前は、相談にのってもらってありがとうございました」
「なんだよ改まって。相談っていうか、俺の昔話しただけだぜ」
快活に笑うキースに釣られて笑い、
「まあ一応問題が解決したのでご報告にと」
「お、そうか!」
そうかそうかと我が事のように嬉しそうな顔をされると、こちらも笑みが深くなる。
「それで、相手は誰だ? ミシィか?」
「――!?」
図星を指され驚いた顔をすれば、きょとんとした反応が返ってきた。
「あれ、当たっちゃった? 当てずっぽうだったんだけどな」
「キース……」
その場に突っ伏す。なんだかこの前もこんなやりとりをしたような。
「いやー、そうかそうか、お前らがねぇ」
「あの、まだ告白の返事をもらってないので、この件は他の連中には……」
「いや、言いたいだろこんな事。早く返事もらってこい!」
にやにや笑いが止まらないらしいキースに、トーリは諦め顔でため息をついた。遅かれ早かれ話そうとは思っていたが、まさかいきなり看破されるとは。
ふと、キースの笑みが兄のようなそれに変わった。
「ま、お前らならうまくいく気がするよ。幸せになりな」
「――はい。ありがとうございます」
まだ返事はもらってないけれど。
「よっしゃ! 今日は飲むぞ!! ワイン飲もうぜワイン」
「程々にしといてくださいよ……」
はしゃぐキースに苦笑いを返す。今夜は長い夜になりそうだ。

「トーリ兄さん!」
また時は変わって、アルザビはウルタラム大通り。呼ばれて、トーリは振り返った。
妹分で、今は告白の返事保留中のミシィ・ハーウェイが笑顔で駆け寄ってくる。我知らず笑みを浮かべて、トーリはそれを迎えた。
「よう、アルザビにいるのは珍しいな」
「えー、そうでもないよ? ここ調理ギルドあるからサポート受けられるし」
「そういやそうだったか」
「兄さんは何してたの?」
「散歩」
端的に答えれば、ミシィが妙な顔をする。
「……おじいちゃんじゃないんだからさ、もっと街の外に出てみるとかさ」
「うるせえ。募金とかもしとるわ、お前も皇都防衛に協力しろ」
くしゃりと少女の髪をかき混ぜるようにしてなでてやる。迷惑そうにこちらを見やり、両手で髪を整えながらミシィは口を尖らせた。
「うー、あの人大声で名前呼ぶから苦手だよ……」
「それで、今は帰りか?」
「うん。色々作って競売に突っ込んできた」
「お前は見かけによらず器用だな」
「見かけによらずは一言多いー!」
きゃんきゃんわめくミシィ。にやにやと笑ってトーリはミシィの頭をまたくしゃりとなでた。
「わめくなわめくな。レンタルハウス来ないか、ウィンダスティーでも煎れてくれ」
「もう! いい加減自分でも煎れられるようになってよねー」
「お前が煎れた方が美味いんだから仕方ないだろ」
その言葉にぴたりとミシィの動きが止まった。少女の頬がみるみるうちに赤くなっていく。
「も、もう! しょうがないなぁ!! ……お茶受け何がいい?」
ちょろい。
思わず悪い笑みを浮かべてしまうトーリだった。
アトルガン皇国は今日も平和である。

「あのさー、兄さん」
「ん?」
レンタルハウスに移動して、トーリはいつものように書物に手をやり、ミシィはウィンダスティーを煎れている。その彼女が何気なく言った。
「つきあっちゃおうか」
「……」
あまりにさりげなく言われたので反応が遅れた。
「……今なんて言った?」
「もう言わなーい」
「おい」
立ち上がりながらその後ろ姿をよく見れば、かぎ尻尾の毛がわずかに逆立っている。耳もせわしなく動いている。
トーリはミシィの背後に移動した。
「ミシィ」
「な、何?」
「顔が見たい」
かぎ尻尾がぴんと立ち上がる。
「だ、だめだよ」
「なんで」
「だって……」
うつむいて、恥ずかしい、とつぶやいたミシィを背後から抱きしめた。茶器がかちゃんと音を立てて少女の手から離れる。
「恥ずかしがってるお前の顔が見たい」
「……なんか兄さん、変態っぽいよ……」
「ことお前に関してはいいだろ」
うー、とかなんとか言っているミシィの肩に後ろから顔を埋める。彼女の匂い、優しく甘い匂い。
「そんな事、他の人に言っちゃだめだからね」
「言わん。それよりさっきなんて言った?」
「……つきあっちゃおうか」
「うん」
腕にますます力を込める。
「そうだな、つきあってくれ。これから、ずっと」
「……はい」
密やかに彼女が答える。
不意に泣き出しそうになるのを懸命に堪えて、トーリはミシィの体を強く抱きしめた。ミシィが優しく笑う。
「痛いよ、兄さん」
「うん」
今くらいは、優しい声に甘えてもいいだろう。幸せとはこういう事なのだと、トーリは知った。


"sweet,my sweet" is over!
大団円。
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