お見合いするって本当ですか?


明日は二人して休日だという夜、風呂から上がると亜衣子さんが難しい顔をしてちゃぶ台の前で考えこんでいた。
「風呂が空いたぞ、亜衣子さん」
「あっ、は、はい!」
頭をタオルで拭きながら声をかけると、慌てて背筋を伸ばす。その様が彼女がいつも指導している生徒のようで、おかしくてつい小さく笑ってしまう。
「どうしたのだ? まるで虎太郎たちのようだな」
私の軽口に答えずに、亜衣子さんがどこか硬い声で私を呼んだ。
「ヤミノさん、お話があります」
「はい?」
……なんだろう、私何かしたっけな?
お説教を食らう寸前のような雰囲気になんとなく緊張してしまう。亜衣子さんの前に正座すると、彼女はすうはあと深呼吸をして(不穏な雰囲気に似合わず非常に可愛らしい)一息に告げた。
「すみません、私明日お見合いに行きます……っ! お世話になった先生から紹介されて、どうしても断りきれなくて!!」
オミアイ?
さてオミアイとはなんだっただろう? 脳裏に疑問符が浮かぶ。だがしかし。
「行けば良いではないか」
「……え?」
オミアイというものが何かよくわからないが、そんなことを咎める私ではない。あっさりとそう言うと、亜衣子さんは何故か衝撃を受けたような顔をした。
「ヤミノさんは……それでいいんですか?」
「良いも何もない、貴女が行くと言うなら私は見送るまでだ」
「……そう、ですか……」
表情をにわかに暗くして、亜衣子さんがうつむく。なんだ、私は何か変なことを言っただろうか?
「……お風呂入ってきますね。先に寝ていてください、ヤミノさん」
「あ、ああ」
そう言って風呂に向かう亜衣子さんが視線を合わせてくれなかったことが、私を無性に不安にさせた。
なんだというのだ、いったい。

翌日、亜衣子さんは朝早くに出掛けていった。
昨夜から引き続いて朝食の席でもまともに目を見てくれなかったことが気に懸かって、なんだかもやもやする。
こんなときは家に一人いるよりも街に出た方が気分転換になるものだ。幸いにも今日は良い天気である。
近所の公園に行ってベンチに座ると、私は昨夜のやり取りを思い返した。
亜衣子さんが断りきれなかったオミアイとは、はてどういったものなのか。快く送り出すと言った私を、亜衣子さんがまともに見てくれなかったのは何故なのか。
いくら考えてもよくわからない。
「やはり私が人間ではないのがいけないのか……」
「あ、ヤミノリウスじゃーん!!」
呟いたとき、賑やかな声が私を呼んだ。声のした方を見てみれば、
「なんだ、お前たちかガンバーチーム」
「まだガンバーチームって呼ぶのかよー」
「虎太郎くんだってヤミノさんのことヤミノリウスって呼んでるじゃない」
「もうヤミノさんなんだから、ちゃんとそう呼んであげろよな」
虎太郎、力哉、鷹介の三人組がこちらに向かって来ていた。相変わらず賑やかな子供たちだ。
ああ、そうだ。こやつらならオミアイの意味を知っているかもしれない。
「お前たち、オミアイとは何か知っているか?」
「えっ、お見合い?」
「なんだ、ヤミノお見合いすんのか? 相手は亜衣子先生?」
面白そうに虎太郎が聞いてくるので、私は昨夜の亜衣子さんとのやり取りを説明してやった。説明している途中から、力哉と鷹介の顔がひきつってくるのがわかって不安になる。
「ヤミノさんそんなこと言っちゃったの!?」
「知らなかったとはいえ……亜衣子先生かわいそうだ……」
「なんだ、いったいなんだというのだ」
鷹介が気まずそうに話し始める。
「あのね、ヤミノさん、お見合いっていうのは」
「結婚する相手とするもんだよなー」
「は?」
結婚!?
思いもよらなかった虎太郎の言葉に、私は混乱した。だって、亜衣子さんには私がいるではないか!
「ええと、お見合いって、結婚をしたいって思う人同士が他の人に橋渡しされて会ってみることなんだけど……」
言いにくそうな顔で鷹介が続きを説明してくれた。
「亜衣子さんが……結婚……」
呆然として呟けば、力哉と鷹介が慌てて声をかけてくる。
「だけど、断りきれなかったからって言ってたんでしょう?」
「そうそう、ちょっと行き違いがあっただけだって! ヤミノさんはお見合いの意味を知らなかったんだし」
「お前たち……」
慰めてくれる二人に続けて、
「だけど亜衣子先生かわいそうだよな、行けば良いって言われて傷ついたんじゃねえ?」
虎太郎が痛いところをついてくる。
「うっ」
「虎太郎!」
「虎太郎くん!!」
咎める二人を横に、追い討ちをかける虎太郎。
「もうヤミノさんのことなんか知りません! って言って結婚決めてきちゃったりしてな」
「ううっ」
「お前ちょっと黙ってろ!」
「なんだよ、亜衣子先生がかわいそうじゃないのかよ!」
「やめなよ、二人とも」
虎太郎と力哉がにらみ合いを始める。おろおろとする鷹介。そこで、遅まきながら気がついた。
ああ、そうか。虎太郎も亜衣子さんのことが大好きなのだな。
私は今、この子供に怒られたのだ。
「私は……亜衣子さんが好きだ。ずっと一緒にいたいと思っている」
呟くと、びっくりしたような顔で三人がこちらを見た。
「彼女の元に帰ってきてから、まだそのことをはっきりと話していなかった。わかってくれているものだと思っていた、思い上がりだな。もう遅いかもしれないが、今日亜衣子さんが帰ってきてくれたらそのことをちゃんと伝えようと思う」
私の言葉に、にかっと、嬉しそうに力哉と鷹介が笑う。
「きっとわかってくれるよ!」 「頑張ってね、ヤミノさん!」
「……お前たちは良い子だな、さすが亜衣子さんの生徒だ!」
二人の頭をがしがしと撫でる。亜衣子さんの生徒がまっすぐ良い子に育っているということが、なんだか無性に嬉しくなって、声を出して笑った。大魔界の魔導士たる私がこんなことを思うようになるとはな。くすぐったそうに撫でられる二人の横で、虎太郎はそっぽを向いている。
そのふてくされたような横顔に声をかけた。
「虎太郎」
「……なんだよ」
「すまなかった、お前のおかげで気づかされたぞ」
「お、おう」
目を合わせようとしない少年に素直に謝ると、驚いたような顔をしてから、こちらを見てにやりと笑った。
「これ以上亜衣子先生泣かせたら、しょうちしねえぞ」
「わかっているとも」
私も笑い返す。ああ、わかっているとも。
遊びに行くという三人と別れた後、私は今後のことについて考えこんだ。
さて、私ははからずも傷つけてしまった亜衣子さんの為に、何をしてあげられるだろう?

心なしか憔悴したような顔の亜衣子さんが帰ってきたのは、夕方になってからだった。
「ただいま帰りました……あら?」
「おかえり、夕食はできているぞ」
いつも通りを意識して、笑いかける。うまく笑えているかはわからない。
「ヤミノさん……」
「まあ手を洗って座っていろ、今準備する」
「あ、はい」
こちらの料理は口に合わなかったが、亜衣子さんと食べる料理は不思議と美味く感じることができた。今では大抵のものなら食べられる。
二人で暮らすようになってから何度か一緒に料理を作ったことはあるが、最初から最後まで一人で作ったのは実は初めてだ。
四苦八苦しながら作ったがなんとか体裁を保てるものはできた、気がする。
肉じゃがと味噌汁、ご飯をちゃぶ台に並べる。品数は少ないが、初めてでここまでできたら上出来なのではないか、私。
「貴女の口に合うかわからないが……」
「これ、ヤミノさん一人で?」
「ああ」
「ありがとうございます……それじゃあ、いただきます」
「いただきます」
亜衣子さんが肉じゃがを口に入れるのを、内心はらはらしながら見つめる。
「……美味しいです」
ふっとほどけるように笑ってもらえて、心底ほっとした。
いつもならその日あったことなどを話しながら楽しく食事をするのだが、今日はなんとなくぎこちないまま夕飯を食べる。
食事を終えて食器を流しに片付けると、私は亜衣子さんの向かいから、すぐ隣に移動した。
「亜衣子さん」
「はい」
名前を呼ぶと、若干こわばった顔で亜衣子さんが答える。そんな顔をしないでくれ。いつものように笑ってくれ。
「私は」
貴女にはいつも笑っていてほしいのだ。
一瞬逡巡して、私はなんとか言葉を続けた。
「……私は貴女に帰りを待っていてもらいたい。時々は、今日のように貴女の帰りを待っていたい。そうやって、毎日貴女と一緒にご飯を食べたい。貴女と、ずっと一緒にいたい。
 私は、貴女のことが好きだ。……もう遅いだろうか?」
そう一気に言い切って、亜衣子さんをじっと見つめる。
驚いたように大きく見開かれた目。それがじわりとにじんで、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。涙!?
「何故泣く!?」
私が言ったことは貴女にとってそんなに嫌な、悲しいことだったのか?
やはりもうすべては遅すぎたのか?
焦っていると、くすりと笑いながら亜衣子さんが涙をぬぐった。
「ごめんなさい、あんまり嬉しくて」
「え?」
その言葉にきょとんとしていると、亜衣子さんはなおも涙を流しながら笑って言った。
「人間って、嬉しいときも涙が出るんです」
涙は悲しいときに流すものだと思っていた私は、呆然とする。
嬉しいときにも人間は泣くのか?
ええと、それはつまり。
貴女は今、嬉しいのか?
「私もあなたと、一緒にいたいですわ。……あなたのことが、大好きです」
そう言って笑い泣く亜衣子さんがあまりに美しかったので。
反応が遅れた。
「……ヤミノさん?」
固まってしまった私を見て、こてん、と首をかしげた亜衣子さんが私の顔をうかがうように覗きこむ。
次の瞬間、その柔らかな体を抱き締めていた。
「や、や、ヤミノさん!?」
慌てるような亜衣子さんの声。それに返事をする代わりに、回した腕にきつくきつく力をこめる。肩に顔をうずめる。亜衣子さんの匂い。優しい匂い。
「あの、ヤミノさん、苦しいです」
「うん」
亜衣子さんの体から力が抜ける。なだめるような、頭を撫でるような、優しい声がする。
「……泣いているんですか?」
「泣いてなどいない」
簡単にわかる嘘をついた。亜衣子さんが優しく、私を抱き締め返してくれた。
人間は嬉しいときにも涙が出るというのなら、私は少しでも人間に近づけているのだろうか。
亜衣子さんの隣に立てる、人間に。
そうだといい、そうであればいい。そうであってほしい。
しばらく二人、そうして抱き締めあっていた。

結果として、その日のうちに亜衣子さんは正式にオミアイを断るという連絡を入れた。
私たちが結婚するまでにはそれからまだいくつかのごたごたがあったのだが、それはまた、別の話だ。

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