桜舞い散る下で


大魔界とガンバーチームとの戦いが終わって、私が人間界に残ることを決め、亜衣子さんと暮らすようになってからの話だ。
季節は春を迎えていた。
人間としての暮らしにまだ慣れきっていない私だが、なんとか仕事を見つけることもできた。
最近亜衣子さんの帰りが遅い。ネンドハジマリはシンニュウセイの受け入れ準備もあるので色々と大変なのだという。私の方が早く帰れた日は、不慣れな手つきで夕食を作って待つこともあった。こちらの料理は口に合わなかったが、亜衣子さんと食べるものは何故だか美味いと感じられた。なんとも不思議な話だ。料理をすることも楽しみの一つになった。
私がおかえりと言うと、亜衣子さんはいつも笑ってただいま帰りました、と言ってくれる。もちろんその逆もある。「おかえり」と「ただいま」の意味と温かさを教えてくれたのも亜衣子さんだ。とてもいい言葉だと思う。
こんな温かい場所にいることに慣れていない私には、もったいない日々だ。多分これは、幸せというものそのものなんだろうな。
時折、こんなに幸せでいいのか不安になる。こんな日々が私に許されていいのだろうかと。

その日も、亜衣子さんの帰りは少しばかり遅かった。
「おかえり、亜衣子さん」
「ただいま帰りました、ヤミノさん」
いつも通りのやり取りをして、にっこりと笑い合う。夕食を二人で食べていると、亜衣子さんが不意に切り出した。
「ヤミノさん、夜桜見物に行きません?」
「ヨザクラ?」
きょとんとして問い返す。
「今、桜が見事に咲いてるでしょう? 日本人の多くはこの時期お花見というものに行って、桜を愛でるんです。今日はもう遅いから、夜桜になってしまいますけど」
ああ、夜の桜で夜桜か。
「亜衣子さんの申し出なら、喜んで」
そう言うと亜衣子さんは嬉しそうに笑ってくれた。
正直花を愛でるということはよく理解できないのだが、彼女が喜ぶならなんだっていい。なんだってしよう。

二人の住居から少し離れたところにある大きめの公園が、この辺りでの花見のスポットなのだという。
今夜の月は大きい。月明かりとともに、歩道をぽつぽつと街灯が照らしていた。
夜の闇は私の親しいところである。月に照らされていたとしても、やはり居心地がいい。
「あ、ほら、そこの公園です」
「ほう」
公園に入ると大きな桜の木が何本も植わっていた。そのすべてが満開に咲き誇っている。ざっと風が吹くと、それに合わせて桜の花びらが吹雪のように舞い散った。夜の中でそこだけが桜色に染まっていて、まるでいつもとは違う世界のようだった。
「これは見事だな」
「でしょう? さすがにもう遅いし今日は少し寒いですから、今はお花見している人はいないみたいですね」
「お花見というのは桜を愛でると言ったが、具体的に何をするのだ?」
聞くと、亜衣子さんは少し考えて、
「そうですねえ……親しい人で集まったりして、お弁当を食べたり、大人ならお酒を飲んだりしますね」
「桜は見ないのか」
「桜を見ながら、そうやって親睦を深めるのが楽しいんですよ」
「ふむ。弁当を食べて酒を飲むなら、桜の下でなくても良さそうなものだが」
私の言葉に亜衣子さんが苦笑いをする。
「お花見というのは特別なんです、きっと」
「よくわからんなあ」
「本当は、私もお弁当を作ってお花見したかったんですけど。時間が空く週末は雨らしいので」
「そうか……」
それはそれで残念な気もする。亜衣子さんの弁当を食べそびれてしまった。
「だから、昼のお花見はまた来年ですね」
え?
あっさりと言われて、思考が追い付かなかった。
ぽかんとする私を見て、亜衣子さんが不思議そうな顔をする。
「あの……どうしました、ヤミノさん?」
「あ、いや」
彼女は今、来年と言った。至極あっさりと。
「来年……来年か」
来年になっても、私は貴女の側にいてもいいということなのだろうか。
「ええ、来年も再来年も、ずっとこうやって桜を見ましょうね」
来年も再来年も、ずっと?
「貴女は、私とずっと一緒にいてくれるというのか」
「ええ、あなたが嫌ではないのなら、ずっと」
「嫌なはずがない!」
思わず大声をあげて、否定する。一瞬驚いたような顔をした亜衣子さんが、ふんわりと微笑んだ。
「それなら、ずっと一緒にいましょう。一緒に、桜や、月や、星や、色々なものを見ましょう。世界は美しいんですよ」
貴女はそうやって、私に約束をくれる。未来をくれる。
真に美しいのは貴女の方だ。
そのとき、強い風が吹いて桜の花が舞い散った。桜吹雪の中に亜衣子さんが溶けていってしまいそうで、その手をつかむ。
「……ヤミノさん?」
そのまま引き寄せて抱き締めた。温かく、柔らかな体。優しい匂い。
「あの……」
「しばらくこうしていてもいいだろうか」
「……はい」
亜衣子さんの体から力が抜けて、身を預けてくれる。
いとおしい。どうしようもないほどに。
許されるのなら、いや、例え誰かが許さないとしても、私は亜衣子さんと一緒にいよう。私は、私たちは今、幸せだ。それの何が悪い。
この人は私に未来をくれた。
だから、私もこの人に何かを返したい。どれだけかかったとしてもそれを見つけよう。亜衣子さんの隣で。
そうして二人で生きていこう。
桜舞い散る下で、月の輝く下で。そう誓いながら、私は彼女を抱き締める腕に力を込めた。

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