君が応える


遠くにミシィとケルヴィンが見える。彼はミシィの肩に手を回すと、こちらを見てにやりと笑った。
やめろ、ミシィに近づくな、そいつは――

――そいつは、俺のだ。
目覚めると、そこは檻の中だった。
鈍く痛む頭を押さえて起きあがる。確か、ビシージの最中にミシィを逃がした後、思い切り殴られたのだ。そして、それから――
「ここは……マムークか?」
牢屋の外に広がる光景はその言葉を肯定していた。
もしかすると、自分は捕虜になったのだろうか。あまりないことだが、冒険者が捕虜になったという話を聞かないわけではない。
しかし一介の冒険者に人質の価値などない筈だ。生け贄にでもするつもりか、それとも――?
どちらにしろ、遅かれ早かれ待っているのは死だろう。
そう考えて、トーリはぎくりと体を硬くした。
死ぬ。俺は死ぬのか。
脳裏に浮かんだのはいつものように少し気の抜けた笑みを浮かべた妹分の姿だった。
「ミシィ……」
死ねない。
ミシィを置いては死ねない。
まだ何も伝えていないのに。
なんとしても、ここから生きて帰らなければ。あの笑顔の元に帰らなければ。
その笑顔が自分のものではなくても、だ。
幸いにして、衣服ははぎ取られていない。シャントット博士に賜ったウィザードペタソスも手元にある。黒魔道士であるにも関わらずいつも装備している連邦賢者制式小剣だけが奪われているが、それは仕方がないだろう。
「くそ、あれ貰うの大変だったんだぞ……」
毒づいて外を窺う。見張りのマムージャがうろついていた。
小さく呪文を唱えてみたが、何も起きない。魔法を封じるように作られているのだろう。外にさえ出られればデジョンが使えるが、このままでは魔法で脱出するのは無理だろう。
皇都防衛リンクシェルや有志が行っている捕虜救出を待つしかないのか。何度も捕虜を救出してきたが、まさか救出を待つ側になるとは思ってもみなかった。
「情けないざまだな」
しかしこのままここで飼い殺しというわけでもないだろう。牢から出されるときは必ずある筈だ。そのときが自力で脱出するチャンスになるだろう。
救出か、自力脱出か。どちらにしても体力を回復させておかなければならない。
トーリは壁に背をもたせかけて、少しでも休息を得る為に目を閉じた。

それは唐突にやってきた。
うめき声と、どさりと何かが倒れる音。
慌てて外に目をやったトーリは、いる筈のない者をそこに見た。
信じられない。
「兄さん……!」
倒れたマムージャを尻目にこちらに駆け寄ってくるのは、
「ミシィ!?」
体中傷だらけで血に塗れた、彼の愛しい少女だった。
牢屋の柵ごしに、二人は対峙した。柵を握りしめて、ミシィが泣いているような声を出す。
「兄さん、兄さん。よかったぁ無事で……」
「お前、どうして……」
震えそうな指先でその手に触れる。温かい血の感触。まだ信じられなかったトーリに、それは現実だと教えてくれる。
彼は何か突き動かされるような衝動にかられながら、ミシィが鍵を開けるのを見ていた。
そうか、黒鱗のカギを持っていると以前言っていたな。それにしてもおまえ、傷だらけじゃないか。ビシージの怪我もろくに治してないんじゃないのか。体中血塗れになって、それでも来てくれたのか。
俺の為に。
鍵が開けられる、牢の扉が開く。
「早く逃げよ、にい……」
ミシィの言葉が終わる前に、トーリは彼女を抱きしめていた。傷に障らないよう、そっと、優しく。
本当はきつくきつく抱きしめたいのを必死にこらえて。
「に、兄さん!?」
「……ミシィ、お前に言っておかなきゃならん事がある」
トーリは震えそうな声を絞り出した。
もう駄目だ。もう自分をごまかすのは嫌だ。
兄だとか妹だとか、そんな事は関係ない。
言わなければいけない事を言わずに、これ以上はもういられない。
「好きだ」
「――!」
「俺はお前が好きだ、ミシィ」
しばしの沈黙。ミシィが何か言葉を紡ぐ前に、トーリは彼女からすっと体を離した。
「にいさ……」
「よし、さっさと逃げるぞ。呪符デジョンは持ってるか?」
「え、あ、うん」
「それならさっさと使え、俺はデジョンで逃げる」
さっきまでの張りつめた雰囲気はどこへやら、ミシィの言葉を遮るように一方的に指示をして、彼はウィザードペタソスを深く被り直した。ただその声は微かに震えていたようで、ミシィが不思議そうに聞いてくる。
「兄さん、泣いてるの……?」
「泣いてない!」
実際は喜びと不安、複雑な感情を抱えて彼は少しだけ泣いていた。目元をなるべく見せないようにして、ミシィの額をとん、と指先で叩く。
「お前のレンタルハウスにいろ。……迎えに行くから」
「う、うん」
ミシィが呪符を使うのを確認してから、トーリはデジョンを詠唱する。
そして二つの黒い渦が、きらめきを残して消えていった。

アルザビのホームポイント制度は廃止されているのだが、廃止以前に設定してから他にホームポイントを一度も移していない者は、そのままアルザビにホームポイントを置けるようになっている。
デジョンでアルザビに戻ったトーリは、そのままきびすを返してレンタルハウスの区域に入った。秘密の抜け道を使い、白門のレンタルハウス区へ入る。
ミシィの部屋はすぐ見つかった。
ノックを二回。気が急いていたトーリは返答を待たずにドアを開ける。
「ミシィ、いるか?」
「わ、早い待って!」
さらしを解いていたミシィが慌てて制止の声を上げた。怪我の具合も気になったが、なによりまろびでている柔らかそうな胸に目がいった。思わず顔を赤らめ、すまん、と言ってトーリはいったん部屋を出た。
……あいつ結構胸あるんだな。そんな事を考えたのは秘密である。
ややあって、ドアが小さく開く。顔を少し出した半眼のミシィが、
「兄さんのスケベ」
「……すまん、悪かった」
「まあ、いいけど……」
頭をかいて謝罪すると、ミシィは部屋に招き入れてくれた。いいのか。
彼女の部屋に来るのは久しぶりだった。女性の部屋特有の柔らかな匂いがする。
昔の胴着を引っ張りだしてきたのか、ミシィは懐かしい拳法着を着ていた。昔々にクエストで貰った力だすきかもしれない。
こうして二人きりになると、先ほどの告白の返事を聞くのが怖い。少し前まで当たり前だった二人の雰囲気でいたい。いつも通りを心がけて、トーリはわざと素っ気なく聞いた。
「お前、怪我はいいのか」
「う、うーん。実はだいぶ痛い……」
「見てやる。上脱いでみろ」
火を噴いたようにミシィの顔が赤くなる。
「やだよ! 兄さんのスケベ!!」
「阿呆、脱がなきゃ診察できんだろうが。安心しろ、他意はない」
「そ、そうかなぁ……」
ちょろい。
いやいや、これも診察の為だ。ちょろいとかそういう事じゃなくて!
思わず頭を押さえるトーリに、ミシィが心配そうに声をかけてくる。
「兄さん、頭痛いの? 捕まるときに殴られたの?」
「いや、大丈夫だ」
なんだかすっかりいつもの雰囲気に戻ったような気がして、トーリは少し嬉しくなった。
「そう?」
ミシィは心配そうに答えると、胴着の帯を解いてその場に座った。下に袖のない薄手のシャツを着ている。胸のあたりを極力見ないようにして、トーリは彼女の背後に回った。
ひどいな、これは。
ミシィの体はまさに満身創痍だった。裂傷には血がこびりついている物もあったし、打撲で青くなっているところもある。
「お前よく我慢してたな。骨はやられてないのか」
「うーん、それは大丈夫みたい」
小さくケアルを唱えると、きらめくような光とともに少しずつ傷が癒えていくのがわかった。ミシィが体の強ばりを解いて、気の抜けたような声を出す。
「気持ちい〜。ケアルってほわほわーっとしてほんと気持ちいいよねぇ」
「そういうもんかね……」
打撲傷はまだ治りきっていない様子だったが、裂傷はほとんどふさがったようだ。安堵のため息をついて、トーリはくしゃりとミシィの頭をなでた。
「ほれ、終わったぞ。上半身の血を拭いてやる、タオル借りるな」
「え、そこまでしてもらわなくってもいいよう」
「俺がそうしたいんだ。いいだろ」
「まぁ、お姫様みたいでいいけどさ……」
お前の考える「お姫様」はたやすいなぁ。思ったが口には出さないで、簡易台所でタオルを濡らす。堅く絞ったそれで、トーリはミシィの体を後ろから拭いてやった。
「ふふふ、くすぐったい」
「……」
安心しきった様子でくすくすと笑うミシィの体を拭いてやりながら、トーリはまじまじと彼女の後ろ姿を見た。程良く筋肉がついているが、柔らかそうな肩から腕へのライン。思っていたより細い首筋。シャツの上からわかる、細くくびれた腰。
不意に、あの夢の中で艶めかしい声を上げるミシィを思い出してしまった。ぎくりと体が強ばる。頭を振って思い浮かんできた幻想を振り切る。
違う、あれはただの夢だ、目の前にいるミシィを見ろ!
手を止めたトーリを不思議に思ったのか、ミシィが首をひねって後ろに視線を送る。
「兄さん?」
「……ああ、いや、なんでもない」
「やっぱりどっか頭打ったんじゃ」
「なんでそうなる」
そこでミシィはうつむいて黙りこんだ。
「だって……おかしいもん」
「何が」
「……兄さん、さっき、好きだって言った」
今度はトーリが黙り込む、主に恥ずかしさから。ミシィがつぶやく。
「おかしいよ、兄さんつきあってる人いるのに」
「はぁ!?」
思わず変な声が出てしまった。ミシィが続ける。
「金髪のナジュリス将軍似の美人さんでしょ、リルカが見たって言ってたし、わたしも見たんだから」
「何を見たんだ、っていうか違う!」
「違わないよ! あんな笑顔わたし滅多に見ないもん!」
激昂した様子で一息で言い切って、ミシィは両手で顔を覆った。
「もう、わけわかんない……好きだって言っといて普通にしてるし……」
先ほどからあまりに普段通りに接する事ができていた気がしたが、ミシィはミシィなりに考えて言い出せなかっただけなのだろう。告白後の雰囲気など、ないも同然だったし。トーリは少々ばつが悪くなった。
「すまん。……少し恥ずかしいし怖かったから、わざと普段通りに振る舞ってた。またぎくしゃくするのも嫌だったしな」
「……怖い?」
「そりゃあ、一世一代の告白の答えを聞くのは怖いもんだろ。
 ――で、お前が俺を微妙に避けてたのは、その「美人さん」の件でか?」
問いかけると、首肯が返ってきた。思いも寄らなかった理由に深くため息をついて、
「誤解だ。レミリアは皇都防衛リンクシェルの同僚みたいなもんだよ。神子様に誓って彼女とは何もない」
ミシィはまだ顔を上げない。ぽつぽつとつぶやく。
「わたし、兄さんが取られたって思って、嫌な気持ちになってた。だってあんな笑顔、わたしに見せてくれた事滅多にないもん。
兄さんはわたしの兄さんなのに、知らない人みたいで、取られちゃったみたいで嫌だったの」
「お前、それは……」
なんだか告白されているような気がしてくるのは気のせいか。
そして、その感情の名はもしかして。
「嫉妬してたのか」
「しっと……これって嫉妬なの?」
「多分な」
あまりに幼い言葉に短く答えて、トーリは腹を決めた。ミシィの前に回り込む。ようやく顔を上げた少女と視線が合うように座る。
「ミシィ」
「な、何……」
たじろいだ様子のミシィをじっと見つめて、トーリははっきりと言い切った。
「好きだ」
ミシィの顔がみるみる赤くなる。
「だって、兄さん」
「だってもくそもあるか。他の奴なんかどうでもいい。兄とか妹だとか、そんなことも知るか。俺はお前が好きだ。お前は?」
「……わ、わたしは」
ミシィが赤い顔のまま泣き出しそうな表情を作るが、トーリの視線は逃げる事を許さない。
「……わかんない。だって兄さんは兄さんだもん、わたしの大切な兄さんだもん。
 好きだとかよくわかんないけど、取られるのやだ。兄さんがいなくなっちゃうのも嫌だ! ずっと仲良く一緒にいたい!」
わからない割には、まるで告白みたいだな。そう思ってトーリは不意に笑いそうになった。
「抱きしめてもいいか?」
「え」
「抱きしめるぞ」
「ちょ、ちょっと待って兄さん」
「待たん」
言い放って少女の柔らかな体を抱きしめる。マムークで告白したときと違い、強く、確かめるように。
は、と息を吐いて、少女が抗議する。
「兄さん、苦しいよ……」
「知るか」
「……」
「お前が俺をどう思っていても、俺はお前が好きだ。それは変わらない。お前がわからないって言うなら、わかるまで待つさ。ずっとな」
「ずっと?」
「……まあ、あまり待たされると待ちきれなくて手を出す事もあるかもしれん」
「なっ、なにそれ!!」
少女の慌てる様子に小さく笑って。
トーリはミシィを抱きしめる腕にますます力を込めた。
もう離さない。


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