君の名を呼ぶ


「兄さん……!」
その声に、応えてくれる人はいない。

「兄さん、これって何の鍵だと思う?」
ある平和な昼下がり、妹分がそう言って懐から取り出したのは、黒い鱗が埋め込まれた鍵だった。トーリは読んでいた書物から顔を上げて、その鍵を受け取る。
「黒鱗のカギか。マムージャが捕虜を入れる牢屋の鍵だな、何度か使ったことがある。
……お前なんでこんな鍵持ってるんだ?」
「この前マムークにメリポしに行ったときに戦利品でもらったの」
「なるほど。お前も捕虜救出に行く機会があるかもしれんし、とっとけ」
「そんな機会あるかなぁ?」
首をひねっている妹分にまあいいからと鍵を返す。
それはずいぶんと前の話だ。

それからしばらくの時が流れて、ミシィが部屋を訪れる事もなくなった。
姿を見かけないという事はない、酒場などで会えばある程度普通に接してはくれる。だがどことなくぎくしゃくした感じは拭えない。
どうしてそんな風になってしまったのか、トーリには全く見当がつかない。
トーリ自身はといえば、まだ時折例の夢を見る。あんな夢を見てしまう自分への嫌悪感は増す一方だ。
なんとなく二人ともが、どうしたらいいのかわからないまま、ぎくしゃくと時間だけが過ぎている気がする。
このままでは良くないのだろうなという事はわかる、しかしどうすれば状況が変わるのか、変わったらどうなってしまうのかがわからない。
臆病なトーリは「いつも通り」というカードを選ぶ。それが全くいつも通りではない事は重々承知の上で。

チリン、と個人通信の音がした。続く涼やかな声。
「トーリ君、今大丈夫?」
皇都防衛リンクシェルのレミリアだった。自然とエラントウプランドを羽織りながら答えるトーリ。
「古鏡割りか? どこに動きがあった?」
「あ、違うのよ。ええと」
珍しく慌てるような声がして、レミリアがこれもまた珍しく言い淀んだ。
「……私用なの。バラカフさんに名所の写真を撮ってきてって頼まれたんだけど、手伝ってくれないかしら?」
「あー……まだやってるのか、あの爺さん」
バラカフ翁といえばイフラマド港辺りでたむろっている有名な爺さんだ。冒険者に虚像の器を渡して各地の風景を記録させ、その風景を見て昔を懐かしむのが好きなようで、トーリも以前依頼を受けたことがある。条件の指定が細かすぎる為、途中で依頼を断ってそのままなのだが。
「依頼は受けてたんだけど、忙しくて途中までになっちゃってて……」
「生真面目な事だな。断ってもいいのに」
「そうなんだけど、なんだか実家の祖父を思い出しちゃって、断りきれないのよね」
苦笑している風なレミリアの言葉が好ましくて、こちらも密やかに笑ってしまう。
「今から行こう、集合は?」
「ありがとう! チョコボに乗りたいからアルザビの厩舎前でいいかしら?」
「ああ、すぐ行く」
そう言ってトーリはレンタルハウスを後にした。

「今日トーリがすげえ美人つれてチョコボに乗ってたぜ」
白門のいつもの酒場。リンクシェルのいつもの面々が集まっていた中で、年少組の竜騎士リルカナルルカが爆弾発言をした。
「えっ」
「マジか、トーリさんやるなぁ〜」
「リルカ、それほんと?」
「マジマジ」
皆が反応を返すのに気をよくしたのか、ぺらぺらとリルカナルルカはよくしゃべった。
「アルザビだとノノミ呼び出してもいいからさ、よく一緒に散歩するんだ。そしたら今日、トーリが金髪の姉ちゃんと一緒にチョコボ厩舎前に立ってたわけ。もうね、ちょー美人だった。横顔がちょっとナジュリス将軍に似てたなぁ」
「ナジュリス様似の美人ねぇ」
「トーリもやるもんだな」
「彼女さんなんすかね?」
ばきっ。
グランツの言葉の後に異音がして、皆の視線がそちらに集まる。
視線の先には、握ったスプーンを真っ二つに折っているミシィがいた。
「ミ……ミシィ?」
「どうした?」
「え? ど、どうもしないよ〜。このスプーンもろいね!」
そんなわけあるか! 皆が心の中でつっこむ。
ミシィはぎこちなく笑って、
「あ、わたし用事思い出しちゃった! お代ここに置いとくね!」
そそくさとその場を去った。残った面々はわけがわからずきょとんとしているのが半分、何かを察したらしい顔をしているのが半分。
「ミシィどうしたんすかね?」
「さあ?」
「あー、トーリはミシィのお兄ちゃんだからねぇ……」
「まあ、兄離れの時期って事かもしれんな」
「なんだそれ?」
「わからないならそれでいいのよぉ」
リューンがにっこりとしめくくったので、リルカナルルカもそれ以上追求せずに口をつぐんだ。

それから数日。
バラカフ翁のすべての依頼を終わらせるのに結構日数がかかった。白門のレンタルハウスに帰りながら、少し疲れた顔をしたレミリアが礼を述べる。
「トーリ君、ありがとう。さすがにちょっと疲れたでしょう?」
「いや、無事に終わって良かったよ。それに俺はついて回るだけだったしな」
実際、レミリアが風景を撮ってくる場所を下調べしておいてくれたので、トーリからしたら二人でちょっとした旅行をしたようなものだった。
レミリアが微笑む。
「でも一緒に来てくれたおかげですごく楽しかったわ。一人だと気が滅入っちゃうし」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「……トーリ君、あのね」
「ん?」
レミリアが不意に立ち止まり、真剣な顔になった。そのまま何事かを言い出そうとしたとき。
チリン。
レミリアの個人通信の音がなった。応答した彼女の顔が更に引き締まる。
「トーリ君、マムージャに動きがあったわ。古鏡の破壊に出てほしいそうよ」
トーリの顔も厳しくなる。
「わかった。集合場所は移送の幻灯前か?」
「ええ。行きましょう」
二人は足早にきびすを返した。

平時のアルザビは人が少ない。所々修復が追いついていない石壁などもあって、どことなく寂しく荒れている所もある。今の気分にはぴったりだ。ミシィは自嘲するように笑って身を縮こまらせた。
アルザビの隅っこにミシィは座り込んでいた。あれから白門の酒場に行く気もあまりしなかったし、今日はなんとなくここに来て、ぼんやりとしていた。
どうしてこんな事になったのだろう。考えても考えても、考えがまとまらない。
素っ気ない風でいて結局はいつも優しかった兄なのに、今はなんだか知らない人のように思える。
「わたしは兄さんの事、何も知らなかったのかなぁ……」
だってあんな優しげな笑顔を他の女性に見せるトーリを、ミシィは知らない。わたしにだってあんな顔、滅多に見せてくれないのに!
思い出すと胸のあたりがずんと重くなる。これはなんなのだろう。こんな気持ちは知らない、知りたくもなかった。
いつまでもこんなところでくすぶっていても仕方ないのはわかっているのだが、どうしたらいいのかわからない。兄に直接聞けばいいのかもしれないが、何をどう聞けばいいのかもはっきりしない。
ただ自分以外の女性にあんな笑顔を見せただけだ。トーリにだって彼の付き合いがあるのだし、そういう事もあるだろう。わかっているのに、納得ができない。
「兄さんは私の兄さんなのに」
口をとがらせてつぶやいてみる。赤ん坊の時から一緒だった。子供時代にはちょっとした冒険も、それなりの大冒険だってした。
トーリが冒険者になって数年は離れていたけれど、ミシィも後を追うようになってからは、二人で、皆でいろんな所に行った。ミシィは冒険者になってから色々な物を初めて見たし、トーリもそれは同じだろう。
二人はいつも一緒だった。
一緒だったのに。
膝を抱える手に力をこめる。自分を守るように抱きしめて、ミシィは深いため息をついた。
そのとき、遠くに伝令の声が聞こえた。
「マムージャ蕃国軍、行軍開始! 防衛戦の準備に入られたし! 繰り返す、マムージャ蕃国軍、行軍開始!」
「ビシージ……!」
ミシィは立ち上がると、自らの顔を軽く叩いて気合いをいれた。
よし、ビシージで大いに暴れて、いったんすべて忘れよう。そうすればすっきりするだろう。
現実逃避でしかない思いつきだ。何も解決はしない。それでもミシィには名案に思えた。
何も変わりはしないのに。

行軍が始まったという一報から、実際に蛮族との防衛戦に入るまではしばらく間がある。
アルザビの各エリアにそれぞれ陣取っている皇都防衛リンクシェルの面々は、そのときをじっと待っていた。その中にトーリとレミリアもいた。古鏡割りを終えて合流したのだ。
もうすぐ夜になろうとしている。ビシージが始まれば、少なくとも明け方まで戦闘は続くだろう。
古鏡割りで多少疲労を覚えてはいたが、高揚感がそれを上回っている。トーリはエラントカフスをはめ直した。

「警戒警報! 警戒警報! マムージャ蕃国軍、バルラーン絶対防衛ラインを突破!!」
そのときがきた。伝令が忙しく走り回る。バルラーン絶対防衛ラインが破られたという一報、続く第一級戒厳令の発令。傭兵として徴用されている冒険者たちにも緊張が走る。
マムージャ蕃国軍とアトルガン皇国の戦いの一夜が始まり――

――そして乱闘に明け暮れた夜が終わる。
「ナジュリス、行きますッ!」
風蛇将ナジュリスの凛とした声を聞きながら、トーリは階下のジズに精霊魔法を叩き込んでいた。無論いたずらに敵意を稼ぐことはしない。もっとも、ナジュリス将軍が敵に囲まれたら、いったん敵意を稼いで引き剥がす事も必要だろう。そのときの為に走者の薬はとってある。
レミリアは中心部隊の援護に行くと言って別行動をとっていた。
階下は敵味方入り乱れて混沌としている。混戦具合を確かめると、トーリはヒーリング体勢に入るため戦線を離脱しかけて――
遠くにミシィの姿を認め、動きを止めた。
「あの、馬鹿っ……!」
少女は明らかに前に出すぎていた。あのままではそのうち敵の総攻撃を受けて確実に戦闘不能になる。運良くレイズをもらえても、生き返った直後に範囲攻撃を受けてまた倒れるだろう。
蹂躙を受け続けた死体は、レイズでも生き返らなくなる事があるという話をトーリは聞いていた。

ミシィが死んでしまうかもしれない。

ただその考えがトーリをつき動かした。階段を駆け降り、敵の攻撃をかいくぐりながらミシィの元へ。ありったけの声を上げて彼女の名を呼ぶ。
「ミシィ!」
その声に気がついた妹分が返り血を浴びた顔で振り返る。一瞬きょとんとした顔で彼を見て、それは致命的な隙になった。
マムージャの刃が迫る。それがミシィを引き裂こうとする前に、トーリのデジョンUの詠唱が完了した。
黒い渦に飲み込まれていくミシィ。少々荒療治だが、これで妹分は助かる。
ミシィは死なない。
「兄さん!?」
「阿呆が!」
わけがわかっていないのだろう、ミシィが叫ぶ。その声に険しい声で応え――
黒い渦が微かなきらめきを残して消えた後、彼の体を衝撃が襲った。

次の瞬間、ミシィはアトルガン白門の喧噪の中にいた。呆然としてその場に座り込む。
苦戦していたところに兄の声がして、そして――パーティメンバーにしかかける事を許されていないデジョンU。その黒魔道士の禁忌まで犯して、彼はミシィを逃がしたのだ。
「なんで……」
確かに戦いはじり貧だった。体中の裂傷が酷く痛むし、あと一撃でも食らえば倒れていたかもしれない。このままだと死ぬかもしれないとうっすらとは思っていた。だからといって。
そのとき、不意に浮かんできた考えがあった。
あの前線に取り残された彼はどうなる?
「……兄さん!」
痛む体でミシィは走り出した。バルラーン大通りを駆け抜け、閉じられた凱旋門を通ろうとして衛兵に止められる。
「通して! アルザビに行かなきゃ!!」
「アルザビは今防衛戦の真っ直中だ! そんな怪我人を通すわけにはいかん!」
思わず衛兵に手を出しかけて、ミシィはぐっと押し黙った。
そのとき。
凱旋門が開き始めた。
「敵軍が撤退した! 魔笛は守られたぞ!!」
伝令が走り込んでくる。それと入れ替わるようにミシィはアルザビに向けて走り出した。
人民街区の中は血の匂いがした。勝利を喜び合う人々を尻目に、先ほどまで戦っていたモグハウス前に向かう。
モグハウス前を探しても、アルザビ中を探し回っても、兄の姿は見つからなかった。
もうレンタルハウスに戻っているのではないかと一縷の希望にすがってもみたが、駄目だった。
トーリの姿は、アルザビから忽然と消え失せていた。……死体すら見つからない。
レンタルハウスにはまだ彼の匂いがうっすらと残っているというのに。
ミシィは自分の肩を抱いて、身震いをした。どうしよう、どうしたらいい。
「……あ」
もしかしたら。そのとき、ある可能性に思い至った。まだ希望を失ってはいけないと考え直す。
蛮族軍はビシージの際、逃げ遅れた市民を捕虜にとるという。冒険者が捕虜になったという話を、聞かないわけではなかった。
きっと兄は生きている。囚われの身となって。そうとでも考えなければ、気がおかしくなってしまいそうだ。
助けに、行こう。
待っていて。どうか無事でいて。
「兄さん……!」
その声に、応えてくれる人はまだいない。


"lost" is over!
レイズとビシージの捕虜システムについては独自設定をとらせていただきました。
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