はじめての


トーリ兄さん、最近なんだか、ちょっと変。

ここはアトルガン皇国人民街区、アルザビの一レンタルハウス。レンタルの筈がスクロールと書物の山でおいそれとは引っ越せない状態になってしまっている部屋の惨状を横目で見つつ、アトルガン様式のベッドに腰掛けたミシィ・ハーウェイは、床に座り込んでいる兄貴分に声をかけた。
「兄さん」
「なんだ」
ふむ。応えてはくれる。ただし書物に没頭しているのか振り向きもしない。
眉間に微かにしわを寄せて思案する。
兄が書物にばかり気がいって、こちらをないがしろにする事など多々ある。さらには邪険に扱う事だってあった。 しかしそれの頻度が、最近とみに増えた気がするミシィなのだった。
最近のトーリはどこか冷たくなった。気がする。
かといってそれを指摘するほどには邪険にされていない気もするし……気がする、気がする、気がするだ。
そこで冒頭のようにミシィは思うのだ。
トーリ兄さん、最近なんだか、ちょっと変。
今だって、返事をしておきながらそれ以上ミシィと話すのが気が進まないように、会話を続けない。いつもなら彼女が言葉を続けなければ、「なんだと言ってるだろ」とかなんとか言って、こちらを見てくれるだろうに。
なんだろ、なんか、ちょっとヤだな。
心の中で呟いて、ミシィは再び声をかける。
「兄さん」
「なんだ」
さっきと同じ応えが返ってきて、天井を仰ぐ。
「……なんでもなーい」
兄は何も言わない。そうか、とすら言わない。ミシィはしばしぼんやりとして、
「ちょっと出かけてくる」
「おう」
気のない返事をする兄をおいて部屋を後にした。

わたし、何か、したっけな?
白門に移動して、いつもの酒場に向かいながらミシィは内心首を傾げていた。
最近特に変わった事があっただろうかと自問しても、答えは返ってこない。兄のレンタルハウスの合い鍵をもらってから、時々他意なくそのベッドに潜りこむようになったが、かといってそれでどうなる事もなく現在に至っている。元々二人は兄妹だと思っているから、二人寝も幼い頃のお昼寝の延長でしかないのだ、彼女にとっては。 ただ、それをぺらぺら話すのは何か違う気がしているので誰にも話していないミシィである。トーリも同じようなものだろう。
ミシィの方で何も変わっていないのであれば、変わったのはトーリの方だろうか。そういえば挙動不審な時があったようななかったような。
考えても埒があかない。今度部屋に行ったら、直接聞いてみよう。
そうこう考えてるうちに店の側まで来ていた。
「ま、美味しいお酒の前で悩んでてもしょうがないし〜」
にへらっと笑うと、ミシィはいつもの酒場のドアをくぐった。切り替えが早いというかなんというか、兄貴分がいたらいつもなら苦言を呈するところである。

妹分が出ていったレンタルハウスで。
ミシィの気配を全く感じなくなってから、トーリは盛大にため息をついた。今日はオフだと言ってリンクパールも外してある。誰にはばかられる事なくため息をつける。
「……あいつなんであんななにもかんがえてないんだ!」
一気にそうぼやいて、再びため息。どうやらさっきの「なんでもなーい」にいらっと来ていたらしい。
まったく何も変わっていないミシィに比べて――それはそうだ――、まだ時折見る甘い夢に翻弄されているトーリなのだった。自然、悩みのなさそうな妹分の顔を見るとため息をつきたくなる。
あんな夢を見てしまう自分への嫌悪感と、そんな自分に脳天気に接してくる妹分への苛つき、それにまた自己嫌悪。
そんな負の連鎖に陥っているトーリに、今までとまったく同じようにミシィに接しろというのは無理なものだろう。
出口の無い迷路に入り込んでしまったような絶望感が、日に日に増してくる気がする。
頭を抱えたくなったそのとき、チリン、と個人通信の音がした。
「トーリ君?」
続いて、皇都防衛リンクシェルのレミリア・ゲインズブロウの涼やかな声。自然と顔が引き締まる。
「レミリアか、どうした?」
「トロールに動きがあるみたいなの。古鏡の破壊に人数がいるんだけど、来てくれないかしら」
その言葉が終わらないうちに、トーリは脱いでいたエラントウプランドを羽織って立ち上がっていた。
「すぐ行く、移送の幻灯前でいいか?」
「ええ、ありがとう」
慌ただしく用意をして、トーリは部屋を飛び出した。

「……あれ」
酒場で少々――いやかなりの時間、酒をたしなんでからトーリの部屋に戻ったミシィだったが、兄貴分は留守だった。
最近では部屋付きのモーグリにもウィンダスの自室に暇をやっているらしく、本当に誰もいない。読みかけの書物とスクロールが床に山と積まれているだけだ。
定位置になったベッドに腰掛ける。すん、と鼻を鳴らすと、嗅覚に優れたミスラなので、トーリの匂いが充満しているのがわかる。赤ん坊の頃から慣れ親しんだ、落ち着く匂い。
「兄さんいないし、どうしよっかなー」
お酒も入っていい気分。もうこのままここで寝ちゃおうかな。そんな事を考えたが、外が慌ただしくなっているのに彼女は気がついた。
ひょいとドアから顔を覗かせれば、アトルガン皇国の伝令が走り回っている。
「トロール傭兵団、行軍開始! 傭兵は防衛戦の準備に備えたし!」
「おやまあ」
あくまで暢気なミシィであった。酒の残る頭で特に考えもせずに外に出る。
「ビシージも久しぶりだなー、兄さんどこにいるんだろ」
騒がしい界隈を通りぬけ、ウルタラム大通りに出る。ビシージに参加すべく、冒険者たちが集っていた。ぶらついていると、大通りの片隅で明らかに高レベルな装備の集団が厳しい声を上げて作戦会議をしているらしい光景に行き当たった。
皇都防衛リンクシェルだ。
ということは。
集団の中心部、高レベル装備の面々から少し離れた所に、見慣れたエラントウプランド。
一般的な、そして少々古びた装束の黒魔道士が、見たこともない装備に身を包んだ女性と共に立っていた。地図を見ながら何か話している。
トーリだ。
「兄さー……」
駆け寄ろうとして、ミシィは立ち止まった。呼ぶ声も喧噪に紛れていく。
トーリは真剣な顔をしていた。
それが不意に崩れて、さらに最近お目にかかったことのない笑顔になる。そばにいる女性と何か軽口を叩いているらしい。
女性は金髪を揺らめかせて、くすくすと笑っている。遠目でもわかる、かなりの美人だ。見たこともない装束だが、明らかに高レベルとわかる意匠の装備だった。
二人は親しげな雰囲気で、何事か話し合っていた。そして、また真剣な顔に戻って話し合いを続ける。
ミシィは立ち止まったまま、その様子を見ていた。
唐突に、その姿がひるがえる。白門に続く凱旋門に向かって駆け出しながら、ミシィはきゅっと唇を噛みしめていた。
胸の内に、形容しがたいもやもやとした感情。
――なんだ、なんだ、なんだ!
凱旋門をくぐり抜け、バルラーン大通りに入っても、ミシィは足を止めない。そのまま白門の自分のレンタルハウスに飛び込んで、装備もそのままにベッドに潜り込んだ。
「クポ〜? ミシィちゃん、どうしたのクポ」
部屋付きのモーグリがのほほんと声をかけてくる。ミシィは答えず、ベッドの中で体を縮こまらせた。
脳裏に蘇るのは、いつもの仏頂面ではない兄。そして最近というか常からミシィには滅多に見せない笑みを浮かべた兄、ミシィの知らない傍らの美女。
見たことのない情景に、何かが体の内を突き上げてきた。ただ逃げるように立ち去った。
どろどろとした名前も知らない感情が、胸の中に巣くっている。
「兄さんの……」
唇をきゅっと噛みしめて、
「兄さんのバカ……」
胸の内の激情とは裏腹に、ささやくように呟いて、ミシィは自身を抱きしめた。
兄の笑顔が、やけに脳裏に残った。


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