夢一夜


夢を見た。甘い吐息と声。

そこで、トーリはがばりと跳び起きた。
反射的に隣を見やる。一人寝のベッドがあるだけだ。
夢を見た。
「俺は、何を」
荒い呼吸は、その名残だ。顔を覆う、息が上がっている。泣き出しそうな多幸感がまだ胸の内に残っている。
本当はそんなものはないのに。
夢を見た。
「――そうか。夢、か……」
呼吸を整えようと深呼吸をする。うまく息が吸えない。昔泣きすぎて同じような状態になったとき、そういうときは息を吐くだけ吐いてみるといいんだよと言ったのは誰だったか。
そうだ、イオだ。
「イオ……」
罪悪感と絶望が堰を切るように襲いかかってきた。
夢を見た。
あってはならない、夢を見た。
一人きりのベッドの上で、トーリの息だけが荒い。
夜はまだ明けない。

「トーリ兄さん!」
呼ばれたその声に、びくりと肩を震わせる。
アトルガン白門、バルラーン大通り。喧噪の中に紛れていたトーリを見つけて声をかけたのは、妹分のミシィ・ハーウェイだ。
聞こえないふりをして立ち去ろうと思ったのに、彼女は思ったより素早く近寄ってきて彼のエラントの袖を掴んだ。
「もー、呼んだのにー……?」
ふいと目を逸らしたトーリの顔をのぞき込んできて、
「兄さん、昨日眠れなかった? なんか目とかほっぺとか赤いよ」
「……寝不足で頬は赤くならんだろ」
「え、じゃなんで?」
墓穴を掘ってしまい頭を抱えたくなるトーリ。俺は最近こういうことが多くないか?
答えようがない問いに答えられないでいるうちにミシィは勝手に納得がいったらしい。あー、と間抜けな相づちを打った。
「風邪ひいたんでしょ、兄さん不規則な生活しがちだもんね」
「……まあそんなところだ」
面倒くさいのでその誤解のままにしておこう。
「だめだよー、冒険者は体が資本なんだから」
「お前は風邪とか引かないよな」
「あ、バカだからって言うんでしょ!」
「いやどうしてそうなる」
視線を合わさないままトーリが受け答えをしていると、
「だいたい、さっきからなんで目を合わしてくれないのさー」
ずいっとミシィが背伸びして顔を近づけてきた。
「――っ!」
思わず肩を押し退ける。しまった、と思ったときは遅かった。
きょとんとした顔のミシィが、押し退けられたままつぶやいた。
「兄さん……?」
「いや、これは」
「なに、照れてるの?」
直球な言葉に何も返せない。うぐ、と詰まるような声を出してしまって口をへの字にしていると、きょとんとしていた顔をにやにやと緩ませて、ミシィが追撃してくる。
「どしたの〜? 距離近かった? そんなの今更じゃない、兄さん」
にいさん。
続くミシィの言葉にはっとさせられる。
そうだ。二人は兄妹同然に育ってきた、兄妹のように生きてきた。
そんな妹分なのに、俺はなんて、夢を。
夢を見た。
甘い吐息と声が脳裏に蘇る。
「にいさん?」
ミシィの声が重なる、くらりと気が遠くなる。
踏みとどまって、眉を寄せた。
心配そうな妹分の気配を感じながら、
「……風邪が悪化してるのかもしれん、帰る」
一息にそう言ってきびすを返す。
ミシィの顔は見なかった。
「あ、うん。お大事にね!」
心配そうなその声が、街の喧噪に紛れて消えた。

レンタルハウスに戻ると、トーリはがくりと膝をついた。自己嫌悪のあまり、ひどく疲れている気がする。
「ご主人、どうしたクポ?」
「いや、なんでもない……ちょっと一人にしてくれ」
慌てて寄ってくるモーグリにそう答えて、立ち上がる。ベッドに向かいかけて一瞬迷い、結局そこに腰掛けた。
今朝、このベッドで夢を見た。
それは認めなければならない、例えそれが酷く甘い毒のようなものだったとしても、見てしまったものは見てしまったのだ。
夢の中で、俺は何をした。
たった一人の妹分に。イオに守ってやってくれと頼まれた妹分に、俺は何をした。
甘い吐息と声が蘇る。柔らかな感触も匂いも、何もかも明確に思い出せる。
泣き出しそうな多幸感を、はっきりと覚えている。
夢の中で、兄に組み敷かれた妹は、見たことのない妖艶さで笑っていた。

夢を見た。
……妹と交わる、夢を見た。


"beginning" is over!
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