モグハウスの鍵貸します


鍵をもらってしまいました。

アトルガン皇国、アルザビ辺民街区――アトルガン白門の片隅。昼から賑わういつもの酒場にて。
ミシィ・ハーウェイは相好を崩しながら、甘めの酒を嗜んでいた。茶色のかぎ尻尾がゆっくりと揺れている。全身で機嫌の良さを表していた少女は、ふと作務衣の胸元をのぞきこんだ。ただでさえ崩れていた顔がますます締まりのないものになる。
「うへへー……」
「何にやにやしてるんだ、気持ち悪ぃ」
「う?」
悪態をつきつつ自分の目の前に座った男の姿を認め、またもにへっと笑う。
「なぁんだ、シロちゃんかぁ」
「シロちゃんはやめろ! 俺はシロウだと言ってるだろ」
半眼になった男は呼び名を訂正してからウェイトレスを呼んだ。呼ばれた女が頬を染めるのを視界の端に捉えて、ミシィはなんとなく感嘆した。
彼の耳にかかるくらいの金髪は冒険者家業とは思えないくらいに透き通った輝きを放っているし、角度によって見え方が変わる複雑な光を持つ瞳は薄青い宝石のよう。肌は白く、それが不健康そうではなく高貴に見えるのは端正な顔の造り故か。
有り体に言えば、目の前の男は美しい。麗人である。
「相変わらずモテるねぇ、シロちゃん」
「だからシロウだと……そもそもモテてねぇよ、馬鹿かお前。あ、ねえちゃんビールくれや」
貴族と見紛う外見に反し、口を開けばこの体たらくなのだが。とはいえ、その口汚い所とのギャップが魅力的という者もいるので、モテる者はどうやってもモテるようだ。
「バカじゃないよう」
「うるせえ、馬鹿丸だしの言葉づかいしやがって。で、その馬鹿が何にやにやしてたんだ。ますます馬鹿に見えるぞ、馬鹿」
ミシィの抗議をすげなく一蹴。シロウ――シロウ・マッカランはいい暇つぶしを見つけたと言わんばかりにニヤリと笑ってみせた。
「もー、バカって何回言うのさ。ルーシーと待ち合わせ?」
口を尖らせたミシィの一言で、シロウの表情がぴくりと変わる。
「……なんで俺があの馬鹿猫と待ち合わせしなきゃならねーんだ、馬鹿野郎」
「あ! また喧嘩したんでしょう」
「うるせえ」
困った人だなぁと言いたげな少女の前で、ぷいとそっぽを向いたシロウはうってかわって不機嫌そうだ。
ルーシー――ルゥ・シードルはシロウと公私を共にするパートナーである。と、皆はなんとなく思っている。職業はナイト。ちなみに守られる側のシロウは皆の癒し手である白魔道士だったりするので世の中はよくわからない。シロウは外見はともかく、内面は暗黒騎士に近い気がするミシィであった。
「またシロちゃんがつれないこと言ったりしたんでしょう。だめだよ、女の子泣かせちゃ」
「泣かせてねぇよ。……多分」
「多分じゃだめなの! 今回はどうしたのさ」
さっきまでとは逆転して問いつめる側に回ったミシィ相手に、シロウはばつが悪そうにそっぽを向いたままだ。
「……鍵が欲しいんだと」
「かぎ?」
少しどきりとして聞き返すミシィ。
「モグハウスの合い鍵だよ、めんどくせぇ」
胸元をきゅっと握りしめて、少女はめんどくさいってひどいなぁと口を尖らせた。
「いいじゃん別に、もう二人付き合ってるんでしょ? 合い鍵の一つや二つ」
「気軽に言うな馬鹿野郎。合い鍵渡すってなぁ、相手に自分の自由売りとばす事なんだぞ」
「別に売ってはないと思うけど」
「言葉のあやだ! だいたいな……」
シロウの声が沈む。視線を逸らして、青年は呟いた。
「来なかったらどうする」
「へ?」
「鍵渡すくらい信用してる人間に、鍵渡して、来なかったらどうすんだよ。
 待つ方ってなぁ、しんどいもんだぞ」
ぱちぱち、とミシィが瞬きを繰り返す。何を言い出すのかこの男は。
「ええとシロちゃん、酔ってる?」
「酔ってねぇ」
だって。
だってそんな気弱でセンチメンタルな事を、この俺様男が言うなんて。
普段のシロウの振る舞いを知っているだけに、驚きが隠せない。そして若干の呆れ。
はぁ、とミシィはため息をついた。
「ルーシーの存在の大きさをかいま見た気分だよ……」
「なんだそりゃ」
「ううんなんだろ、ごちそうさま?」
「意味わからん、お前の方こそ酔ってんじゃねぇか」
悪態にもなんだか力がない。一抹の哀れみさえも感じて、ミシィは再びため息をついた。
そのとき。
「シロちゃん!」
不意に、酒場の喧噪を縫って高い少女の声がした。
声の主など見なくてもわかる、シロウが顔をしかめた。ガシャガシャと音を立てながら、近づいてくる鎧姿の少女を一瞥もしないで一言。
「なんだよ、俺ぁ謝らねぇぞ」
「あ、ちょっとは悪いと思ってたんだ」
思ったことがすぐ声に出るのはミシィの悪い癖である。シロウがじとりとした視線を送ってきたので舌を出し、右手を顔の横でひらひらさせて、その場に現れた少女に軽く挨拶をした。
「ルーシー、やっほ」
「ミシィ、やっほ。
 ……シロちゃん。お話があるんだけど」
「俺はねぇ」
「ボクはあるの!」
少年めいた口調で言って、ルーシーはきゅっと唇をかみしめた。右手に握りしめたものを、シロウに突き出す。
「ん」
「あぁ? なんだよいったい……」
突き出されたものにゆるゆると視線をやってから、シロウが押し黙った。
少女の手の中にあったのは、鈍く銀色に光る一つの鍵だった。
「シロちゃんの鍵が欲しいって言ったのが、ボクのわがままなんだって事、わかってる。
 多分シロちゃんがボクの事、そんな好きじゃないのもわかってる。だから鍵をくれないって事も」
泣き出しそうな顔で言葉を続けるルーシー。仏頂面でそれを聞くシロウ。
「でもボクはシロちゃんの事好きだから、大好きだから。だからこの鍵あげる。
 シロちゃんが来てくれなくても構わない、だから、ボクの鍵をもらってください」
そのままじっとシロウの行動を待つ。
彼はしばらく動こうともしない。ミシィがはらはらして声をかけようとしたとき、シロウが動いた。
少女の手のひらの鍵を取ると、ぼそりと呟く。
「鍵渡す渡さねぇが愛情の度合いだなんて、いかにも馬鹿の考えそうな尺度だ」
その言葉にルーシーの顔がくしゃりと歪む。少女が何事かを言って返す前に、シロウは青銅貨を数枚テーブルに置いた。
「ミシィ、勘定ここにおいとく」
そのまますたすたと歩きだす。
「シロウ、ちょっと!」
「おい、ルーシー」
ミシィの声を遮るように、シロウがルーシーに声をかける。
「……ジュノに信用できる錠前屋のあたりつけてんだ、そこ行くぞ」
「え、シロちゃん、それって」
「合い鍵くれてやるって事だよ、馬鹿猫!」
振り返りもせずにそう言って、ますます歩調を早めるシロウ。その後を慌てて追いかけながら、ルーシーはミシィに手を振った。
「わ、わ、ちょっと待ってよ! ミシィ、またね!」
「うん、またね〜。お幸せに!」
「うるせえ!」
祝福の言葉に彼が罵声を返し、慌ただしく二人が出ていく。取り残されたミシィは、しばらくして一人にんまりと笑った。
「なーんだ」
後ろ姿でもちゃんと見えた。彼の耳の赤かった事!
「ちゃんと鍵渡そうと考えてたんじゃん。鍵屋さんまで調べといてさ」
だいぶ温くなった酒をあおる。シロウが頼んだまま口をつけていないビールも、温くなってしまっているだろう。
「合い鍵かぁ」
さて、二人が去ってしまうと、どうしても考えてしまう。
自分の胸元にぶら下がっている、鈍色の鍵。
それを引っ張りだして手に取ると、ミシィは頬杖をついた。
――鍵渡すくらい信用してる人間に、鍵渡して、来なかったらどうすんだよ。
シロウの言葉が蘇る。そして、トーリの言葉も。
――お前は俺の家族みたいなもんだからな。
「……どういう気持ちで兄さんはこの鍵をくれたのかな」
どうせ、道ばたで待たれたら困るとか、そういう理由なんだろうけど。
――待つ方ってなぁ、しんどいもんだぞ。
「待っててくれてるのかなぁ」
少しは……訪れない自分を寂しく思ってくれるのだろうか。
手のひらの鍵が答えてくれる筈もない。
「まさかね」
苦笑いをして懐に鍵をしまい込む。まさか、あの兄が。
ぐいっと残りの酒を飲み干して、ミシィは立ち上がった。
――それでも、もしもそうならば。
「しょうがないなぁ、顔見せに行ってやるかぁ」
その言葉とは裏腹に、少女の顔はほころんでいた。


"The moghouse" is over!
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