ハルディン・ホテル


潮風が気持ちいい。
アトルガン白門の南、マウラ行きの船が発着する船着き場。その隅で、積んである樽に腰掛けてミシィ・ハーウェイは大きく背伸びをした。
伸びとともに先がかぎ状に曲がっている長い尻尾もぴんと伸びる。ミスラ特有の紋様が入った顔はまだ幼い。癖のある茶色い髪が風になびいた。
乾いた風の中に色濃い海の匂いがする。荷物を運び入れる人足達の大声、行き交う人々のざわめき。目を細めて雑踏の空気を味わう。
港や競売、街中で感じられる雑多な空気の中にぼんやりと佇んでいるのが、少女は好きだった。
皇国は今日もいい天気である。
このようにぼんやりする事が好きな娘である、どうにも馬鹿に見られやすい。実際あまり頭が良い方ではないと自分でもわかっているので、大して気にはしていなかったが。
しばらく雑踏の中で流れる人波を見ていたミシィは、やがてふるふるっと頭を振って樽から飛び降りた。
「シャララトでも行こっかなー」
やや舌っ足らずな声でひとりごちて歩き出す。少しお腹が空いていた。
茶屋シャララトはアトルガン辺民街区の中でも有数の茶屋である。美食家グループのエピキュリアンズが贔屓にしていると言われ、最近は五蛇将も顔を出すという噂が流れて、五蛇将ファンも足を運ぶようになっていた。
ついこの間まで、五蛇将の歌を作りたいという吟遊詩人に色々と協力した際に何度も訪れてはケーキとチャイを楽しんでいたので、ミシィはすっかりこの店のファンである。
昼下がりの茶屋シャララトは予想以上に混んでいた。席が空くのを待つのに少し時間がかかりそうだ。
どうしようかな、と考えて、良い事を思いつく。
「そだそだ、なんか買ってトーリ兄さんちに遊びに行こ」
どうせビシージ以外に大して楽しみもない、アトルガンに常駐している兄である。暇しているに違いない。
甘いものだって嫌いじゃないとか言いつつ実は結構好きだったはずだ。
兄妹同然に育てられた三歳年上のヒュームの顔を思い浮かべる。素はいいと思うのだが、いかんせん、大抵渋い顔をしている。そんなだから二十一歳にもなって彼女の一人もできないのだ。
ひどい言いぐさだが、実際そんなものなので言い訳もできないだろう。
「お菓子、お菓子、お菓子とチャイ〜。兄さんにはカッフェ〜」
変な自作の歌を小声で歌いながら――ここらへんが馬鹿っぽく見られる要因の一つでもあることにミシィは気がついていない――とりあえずイルミクヘルバスを売っている列に並ぶ。
そして思い出したかのように大きくあくびを一つ。
皇国は今日もいい天気である。

それから少し時間が流れ、アルザビのとあるレンタルハウス前。
「にーいーさん。あーけーてー」
ミシィは片手でテイクアウトしたイルミクヘルバスと二人分のチャイ、それとアルザビコーヒーが入った包みを抱えこみ、空いている手で見慣れたドアを叩いていた。
が、反応がない。
「あれ?」
小首を傾げてもう一度ノック。
やはり反応がない。
「おっかしいなー、釣りにでも行ってるのかな」
しかしそれにしても、部屋にはモーグリが残っている筈である。
ドアノブをひねってみるが、鍵がかかっていて開かない。
一瞬ウィンダスのモグハウスに戻ったのかな、と考える。しかし祖国のウィンダスに滅多に戻らず、アルザビのレンタルハウスを自宅のように扱っているトーリなので、それも考えにくい。今更引き払うにはちょっと時間がかかりすぎる程の物をためこんでいる兄のレンタルハウスである。仮にも「レンタル」の筈なのだが。
とすると。
あることに思い至ってミシィの頬がぷうっと膨れる。
「モグの奴、居留守使ってるな……」
それくらいしか考えつかない。そして居留守を使われる理由はなんとなく思い当たる。
先日自分のレンタルハウスが雨漏りを起こした際、ウィンダスに帰るのも面倒くさかったミシィはダメだと言い張るモーグリを尻目に無人のトーリの部屋に押し入った前科があった。
その後トーリから小言でもくらったに違いない。そういうわけでミシィに押し切られないようにあらかじめ留守を装っているのだろう。
モンクのミシィとモーグリでは、モーグリの方が明らかに分が悪い。開けたが最後、なんだかんだで押し入られてしまう。
「むう。せっかくあいつの分のチャイも買ってきたのに。
さすがにドア壊したら兄さんに出入り禁止にされそうだしなあ……」
どうしようかな。一瞬考えて、またあくびを一つ。ミシィはドアにもたれかかるようにその場で座り込んだ。
「んー、今日はお昼寝してないからなあ」
少し眠くなってきた。何よりも眠る事が好きな娘である。
外は相変わらずいい天気。かぎ尻尾を揺らしながら、ミシィはそのまま路上でうとうとし始めた。
やがてかくりと頭が落ちた。

「……ミシィ・ハーウェイ」
押し殺したような声で目が覚める。
ぼんやりした頭を上げると、すぐ目の前に見慣れた兄の険しい顔があった。その後ろに、遠巻きにこちらを見る数人のいぶかるような視線。
「あ、兄さんおかえりぃ」
反射的ににへらっと笑う。その笑みに、トーリはひきつった笑いを返してきた。
「ただいま戻ったが、お前は人んちの前で何をしてやがるんだ?」
「え? 昼寝」
正直に答えると、すっと両手を伸ばされた。トーリはそのままミシィの両のこめかみに握り拳を当て、
「いたたたたたた! 痛い、痛い兄さん痛い!!」
ぐりぐりと力いっぱい押さえつけた。
悲鳴をあげるミシィを無視して怒鳴りつける。
「路上で惰眠をむさぼるな、この馬鹿娘!!」
そこまで言って、周囲の視線を感じたのかトーリははっと動きを止めた。怪しんでいた数人のご近所さん達はくすくす笑いながらその場を立ち去っていく。
「……とりあえず中に入れ」
「いてっ」
最後にぽかりと頭を叩いて、トーリは自室の扉を開けた。

「で、なんで俺の部屋の前で昼寝なんかしてたんだ」
「ねー、兄さんどこいってたの?」
同時に互いに問いかける。
先に応じたのは兄の方だった。むすっとしたまま、律儀に答える。
「辺民街区に釣りに行ってた。そしたら知り合いから俺の部屋の前に変なミスラがいるってテルが入ったから慌てて戻ってきたんだが……まあお前じゃないかとは思ったんだが、まさか寝てるとは思わんかった」
「あー、つい」
へへへ、と笑うと再度雷が落ちてきた。
「ついで路上で寝るな!」
「いやあ、兄さんちに遊びに来たんだけど、いないしモグは居留守使って鍵開けてくれないし、で、いい天気だったから〜……」
その雷をものともせずに、部屋の隅でこちらを伺っているモーグリに向かって口をとがらせる。モーグリが困った顔をした。
「ごめんクポー……でもまた勝手に入ってこられたらご主人に怒られると思ったクポ」
「だからって居留守はないよー! まったく失礼しちゃう」
「偉そうに言えた義理か。そもそも前回押し入ったお前が悪いんだろうが」
「むー。せっかくお菓子とお茶買ってきたのに、冷めちゃうしさー」
まったく悪びれた様子もなくふてくされるミシィを見て、トーリはため息をついた。突拍子もない事をしでかした妹を叱る兄の図が、昔から何度も繰り返されてきた事を思い出して脱力したのだ。
「というかいい年をした娘が路上で寝るのはやめなさい。いいな?」
「うん、わかった」
たしなめるように言う。本当にわかっているのか、けろりと答えるミシィにトーリは再びため息をついた。
なんだかまた同じような事をしでかしそうな気がひしひしとする。
少し考えて、諦めたような顔をして頭をかく。
「……しょうがないな」
普段着と化しているくたびれたエラントウプランドのポケットを探り、一つの鍵を取り出すと、トーリはミシィに向かってそれを軽く放り投げた。
「やる」
「ん、なにこれどこの鍵?」
受け取った鍵をつまみ上げて首を傾げる妹に、ため息まじりで答えてやる。
「この部屋の鍵だよ。そっちはお前にやるから、今度から何かあったらそれで入って部屋の中で待ってるようにしろ。いいな?」
「おー! いいの? いいの?」
一転、顔を輝かせて喜ぶミシィを見て、トーリは苦笑した。
「まあ、お前は俺の家族みたいなもんだからな。見られて困るもんもないし、適当に来て適当に帰ればいい。
ただし、もう一緒に寝るのはごめんだからな。寝るなら自分のハウスに帰って寝ること。いいな?」
「やったー! 兄さんありがとう!」
後半は聞いているのかいないのか、多分聞いていないミシィがこぼれるような笑みを浮かべる。
今まで何度も厄介事に巻き込まれてきたのに、実際は血の繋がりのないこの少女から妹離れが出来ないのはなんでだったか。
モーグリの手を取って喜んでいるミシィに、トーリは小さくつぶやいた。
「俺はお前のその顔に弱いのかもしれんなあ」
「ん、なにか言った?」
「いや、別に」
少女が振り返って見た顔は、いつも通りの仏頂面だったけれど。


"Jardin Hotel" is over!
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