それは毛布のように


「好きな人が、できたかも」
その時確かに、心臓が止まった。

トーリ・ココノエは酒に強い。というのが彼の常駐しているLS内での見解だ。
といっても、なにがしかあると祝杯を上げるのが常となっているLSなので、周りの人間もそこそこ強い者が多いのだが。
一度飲み比べをしてみようと乗り気でないトーリを引っ立てていったキースが、酔いつぶれて翌々日までモグハウスから出てこなかったという珍事から――トーリ自身は翌日けろりとしてビシージに参加していた――、一番酒に強いのはトーリだという事になっている。
ちなみに一見酒に強そうなガルカのカルルグは下戸であったりするから人間わからないものである。
酔いにくいというだけでそこまで酒が好きではないトーリだが、なんだかんだで祝杯を上げるたびに引っ張り出される事自体は嫌いではなかった。まだ辛うじて人嫌いの域にまでは達していない。
そういうわけで、その日のトーリはいつも仲間が集まる酒場で妹分のミスラ、ミシィ・ハーウェイと酒を飲んでいた。誘ってきたのはいつものように妹である。
着くなり勢いよく飲み始めるミシィを呆れたように眺めながら、トーリはよく冷えたビールを飲んでいた。皇国ながら、中の国界隈の酒の揃えがいいのもこの酒場の良いところだ。ミシィが飲んでいるのは皇国で一般的に飲まれているアニスの香りがする蒸留酒を割ったものである。若い娘がぐいぐい飲むような代物では決してないのだが。
ビールを飲み干した辺りで気がついた。ミシィがじっとグラスを見つめて動かなくなっている。
なんだかとても嫌な予感がした。
「……どうした。頼むからここで吐くなよ」
「吐かないよ」
一点を見つめたまま呟くように答えるミシィ。
その様子が珍しく、トーリはふと眉をひそめた。
にぎりしめられたグラスの中身が、小さく揺れて店の灯りを反射する。
「兄さん、わたし」
微かにアニスの香りがした。
「好きな人が、できたかも」
その時確かに、心臓が止まった。

一拍おいて、止まった心臓が再び動き出す。ただし、早鐘のごとく。
「……なんだって?」
「好きな、人が、できた……かも」
一句一句区切るように告白するミシィ。うつむき加減の顔は、いつになく真面目で、濃い緑色の目が少し潤んで見えた。
幼なじみのそんな顔を見るのは初めてのような気がする。そんな女性のような顔は。
内心動揺し、何故か動揺していることに気づいてまた心乱され、トーリは飲み干した筈のグラスをまたかかげた。もちろん中身は空である。
「この前から何回か、メリポ稼ぎで組んだ人なんだけどね」
ミシィがぽつりぽつりと話し出す。
「その人、ナイトでね、私が敵の標的になる度にかばってくれて」
それはナイトである以上普通の仕事だ。
そうは思うのだが、ミシィの真面目な表情に口に出せない。
「休憩中も皆のこと気遣って、言葉遣いもよそよそしくなくて。優しいんだ。
パーティの時、すごく頑張ってるの、見ててわかる。
そんなの見てて、なんだかだんだん胸が苦しくなるようになって、どうしよう兄さん」
顔を上げたミシィはもう泣きそうだ。
「これって恋なのかな、わたし、どうしたらいいんだろう」
「それは……」
単なる憧れなのか、憧れから芽生えた恋なのか。
重大な天秤を預けられて、トーリは言葉を失った。
しばらくグラスを弄んで、無難な台詞を口にする。無難でありきたりな、突き放すような言葉を。
「……それはお前が判断することだろう」
「だって」
泣き出しそうなミシィの顔がますます歪む。
「だって、こんなの初めてなんだもん、わかんないよ……!」
初めてなのかよ。
そういえば浮いた話など、ついぞ聞かない幼なじみだった。十数年つきあってきて、こんな相談を持ちかけられたのも初めてだ。
まだまだ子供だと思っていたから。
だからきっと、さっき俺はあんなに動揺したんだろう。そうだ。多分。
なんとか動揺から立ち直って、トーリは居住まいを正した。
「お前はどうしたいと思ってる?」
「……もっとルークさんと仲良くなりたい。わたしのことを知ってもらいたい」
相手はルークというらしい。自分にとって、特に有益でもない情報が一つ増えた。
「ただ数回組んだだけの人じゃなくて、もっと仲良くなりたいの」
「ならとりあえずはフレンド申請してみればいいんじゃないか? そうすれば普段から個人通信もしやすくなるだろう。
友達になってくださいって、まずは手紙でも書いたらどうだ」
「うー、手紙か……頭使うのって苦手だよ……」
「そこまで知るか」
「ひどっ」
うん、これが自分のペースで幼なじみとの距離感だ。
「でも手紙なら、緊張しすぎて変な事言ったりしないよね。できたの渡せばいいんだもん」
うんうんとうなずいて、泣き出しそうな表情だったミシィがようやく笑みを浮かべた。
なんとなくほっとする。あんな知らない女の顔をする幼なじみは、どうにも苦手だ。
「兄さんありがと! やっぱり兄さんに相談して良かった!!」
「……礼として、ここはお前の奢りな。あ、すいませんウィスキーをボトルで」
「うっ」
そんな他愛ない、いつものやりとりをする。
妹の満面の笑みに少しだけちりちりとした感触を覚えたのは、きっと気のせいだ。

「で、なんで俺まで担ぎ出されるんだ」
いつもの如く仏頂面で、トーリは苦々しげに呟いた。
ミシィがぷうっと頬を膨らませる。
「だって一人だと緊張するんだもん! お願いだから近くにいてよー」
「知るか。ほら、さっさと行ってさっさと渡してこい」
「うー、まだ来てないみたい」
昼下がりの白門・蛇王広場。
ミシィが前回組んだ時に得た情報では、件のルークは最近の昼間、暇な時はここでシャウト待ちをしているらしい。
数日前から四苦八苦してようやく書き上げた手紙を握りしめ、微かに顔を紅潮させてきょろきょろと周りを見渡すミシィ。
「……手紙、シワになるぞ」
「あっ、来た! 来たよ兄さん!!」
急にがくがくと揺さぶられて、トーリの顔がますます不機嫌になる。モンクなだけに、ミシィの力は強い。
「やめんか。さっさと渡してこい」
「う、うん」
視線の先には白い鎧に身を包んだ銀髪のエルヴァーン。鎧にはアーティファクトとは少し違う意匠が施されていて、どうやらデュナミスの戦利品だな、とトーリは目星をつけた。彼自身はデュナミスに縁がないものの、所属しているもう一つのLS、皇都防衛リンクシェルに同じ鎧を着た者がいるのを見たことがあった。
更に銀髪のナイトがいかにも女性にもてはやされそうな顔をしているのを確認して、トーリはなるほどとうなずいた。
「お前結構面食いだったんだな……」
「ああー、緊張するー」
まるで聞いていない。深呼吸を数回。
「いてくる!」
ぎくしゃくとしながらも件のルークの前に向かって歩き出すミシィ。馬鹿め、それじゃ出す足と腕が同じだ。何故だかトーリまでハラハラしてしまう。
「ルークさん!」
少々うわずったミシィの声に気がついてか、長身のエルヴァーンはそちらに顔を巡らせた。
傍らに立っている少女を見つけてにっこりと笑う。悔しいが笑顔が嫌になるほど様になっている。……悔しいが?
「ああ、この前の」
「あの、これ……」
ミシィの赤面具合が増した。少女は握りしめた手紙を渡そうと――
「ルーク!」
その時、ナイトに呼びかける女性の声がした。
駆け寄ってくるのは、そこそこの高級品として知られるノーブルチュニックに身を包んだヒュームの白魔道士。後頭部でくくった長い黒髪が揺れてきらめく。
女性は二人の前で立ち止まると、ルークの胸に何かの包みを押しつけた。
「もう、忘れ物よ! まったくどこか抜けてるんだから」少し怒っているような、呆れているような言葉をかける。
「悪い悪い」
全く悪びれる様子もなく、笑って受け取るルーク。呆然と見つめるだけのミシィに気がついたのか、彼は女性の肩に手をかけた。
「紹介するよ。俺の嫁さんのエリー。とはいっても、正式な結婚式はまだなんだけどね」
「こんにちは。ルークがいつもお世話になってます」
深々とお辞儀する女性に、慌てて頭を下げるミシィ。
「こ、こちらこそルークさんにはお世話になってます!」
「それで、俺に何か用だった?」
「え、あ、ううん! 見かけたから声かけてみたんですけど!」
ミシィはぶんぶんと勢いよく首を横に振る。手紙は後ろ手に握りつぶされていた。
「シャウト失礼しますー。ナイズル頭ア0/2デ2/2ゴ1/2鑑定〆武器〆、あと2名募集中ですー!」
響きわたったシャウトに、ルークの顔が輝く。
「お、珍しくアスカル枠がら空き。エリー、行こうぜ!」
「はいはい。今日こそはゲット出来るといいわね」
「おう!」
苦笑するエリーに元気よく答えて――
「それじゃ、モンクさん、またね!」
輝くような笑顔を残し、ナイトの青年は白魔道士と共にその場から立ち去った。立ち尽くすモンクを残して。

「……名前も覚えてもらえてなかった……」
所変わってここは冒頭の酒場。
テーブルには既に数本の瓶が乱立している。つっぷして手紙を握りしめたまま、ぐじぐじと泣きながら呟くミシィ。トーリはこの前ボトルキープしたウイスキーを舐めるように飲みながらその呟きを聞いていた。
あの後、呆然としたままのミシィを引きずるようにしてこの酒場まで連れてきたのはいいのだが、ここまでやけ酒に溺れるとは思っていなかったのだ。
「……ナイトに白魔道士って取り合わせには勝てんわな」
「ううううううううう」
トーリの言葉に地の底から響くような声で答えているのか泣いているのか、なミシィ。
「しかも結婚寸前っていうか事実婚済みか? そこまでの仲の人間がいるってお前何で気がつかなかったんだ」
続く言葉にがばっと頭を上げてミシィが叫んだ。
「兄さん、慰めたいの? 再起不能にしたいのぉっ?」
「妙な気を起こさんようにとどめを刺している」
「起こさないよ! ていうか妙な気ってなに!?」
オーバーアクションで叫んで、またテーブルにつっぷせるミシィ。
「ううう……」
「まあ飲め。今日はおごってやるから」
「うわーん! もう飲む! 飲んでやる!!」
泣きながら体を起こすと、ミシィは残っている瓶の中身をラッパ飲みし始めた。
そういうことするからモテないんだ。
思っただけで口に出さなかったのはトーリの優しさである。

前にこうやって帰ったのは、いったいいつのことだっただろうか?
考えながら、トーリは白門のレンタルハウスに向かって大通りを歩いていた。背中には酔いつぶれた妹を背負っている。
不意に、ミシィが身じろぎした。
「ん、兄さん……?」
「目が覚めたか?」
ぼんやりとした妹の呟きに、いつも通りぶっきらぼうに答える。
「うん……もういいよ、歩く」
「まあ待て。お前だいぶ飲んでたからな。
 レンタルハウスまですぐだ、背負われてろ」
「うん……」
しばらく二人の間に沈黙が流れる。気まずいわけでもない、いつもの沈黙。それを破ったのはミシィだった。
「兄さん」
「ん?」
「……ありがとう」
その顔は見えない。見えなくて良かった。
「阿呆が」
「……うん、わたし、バカだ」
静かな、少し涙の混じった声。
阿呆が。
聞こえないように再び呟いて、ずり落ちてきたミシィの体を背負い上げ直す。
幼い頃、こうやって一緒に帰ったことが何度もあった。
「これくらいでありがとうとか言うなってことだよ」
自分の声が、いつになく優しげに聞こえる気がして、トーリは少し気恥ずかしくなった。
こんなのは自分のキャラクターではない。
今顔を見られなくて本当に良かったと思う。
「俺はお前の兄貴だからな」
「……うん。ありがとう、お兄ちゃん」
さほど遠くもない昔、そう呼ばれていた事がある。
そっと、トーリの頭にミシィが額を預ける。少し硬い髪が首筋を撫でてこそばゆい。
そのまま二人、何も言わずに家路をたどる。
月明かりに照らされた帰り道がぼんやりと光って見える、そんな夜だった。


"Lunus's Blanket" is over!
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