おやすみ二人で


その日、トーリ・ココノエは眠かった。

皇都を強襲してきた死者の軍団を撤退させたのが夜明け前。
それから捕虜の救出に向かい、ようようアルザビに戻ってきたのが日付けも変更して夜がとっぷり更けきった頃である。
トーリは元々所属していたリンクシェルの他に、皇都防衛リンクシェルにも所属していた。
平時は蛮族に力を与えていると言われる魔鏡の破壊活動を行い、有事の際はリンクシェルに所属していない大多数の味方へのシャウトによる諸連絡や敵の誘導、撃滅に奔走する。
蛮族軍が撤退した後は後で、アルザビ内を一通り巡って蛮族の捕虜になっている者がいないか確認し、捕虜の救出にあたる。
多くの者は蛮族の撤退で皇都防衛――ビシージ――が終了すると思っているが、実際はトーリ達のように普段見えないところでの活動を行っている者達の手でアトルガン皇国の平和の一旦は担われていると言ってよい。
そういうわけで、その日もアラパゴから戻ってきたその足でレンタルハウスに帰り、一刻も早くベッドに潜りこみたいトーリがいた。
蛮族軍の動向に今のところ不穏な点はない。今日明日はぐっすりと眠れそうだ。
皇都防衛リンクシェルのメンバーに別れの挨拶をしてリンクパールを切り替える。
常駐しているリンクシェルに今居るのは、幼なじみのミスラ一人のようだった。
「こんばんは……ミシィだけか」
返事はない。
どうせリンクパールを外し忘れたまま惰眠を貪っているのだろう。寝る事が何よりも好きと公言する自堕落な娘である。
「ビシージの後処理も終わったから俺も寝る、おやすみ」
一息に言ってのけてリンクパールを外し、モグハウスより慣れ親しんだ感のある自身のレンタルハウスのドアを開く。
そこでトーリは固まった。
スクロールや書物が溢れかえっている床の向こう、部屋の隅にあるアトルガン様式のベッド。
その掛け布団から覗く茶色く長いかぎ尻尾が、のん気そうに揺れていた。

「……モグよ」
「クポー! そんな目で見ないでクポ! モグはご主人が居ない時に勝手に入ってきちゃダメだってちゃんと言ったクポ!」
部屋の隅でしゅんとしているモーグリに目をやると、困ったような声が返ってきた。
「実際に入られて熟睡されてちゃその制止にもまったく意味がないんだが。……ああ、まあいい」
ため息をついてつかつかとベッドに歩み寄る。完全に掛け布団の中に潜り込んでいるこのかぎ尻尾の持ち主が誰なのか、見た時から見当はついていた。
というか知り合いの中で一人しか該当者がいない。
「ミシィ」
返事はない。
「ミシィ・ハーウェイ!」
昨日は全然寝ていないのだ。声が剣呑になるのはしょうがない。
「ん〜?」
もぞもぞっと布団が動いたかと思うと、眠たそうな目をした若いミスラが顔を出した。
ところどころ跳ねた茶色い髪、顔に施された紋様。丸っこい目がやや幼い印象を与える。
「起きろ」
「あ、トーリ兄さん。おかえりぃ」
思い切り機嫌の悪そうな顔をしてみせるトーリににへらっと笑って、ミシィはのん気にそう言った。トーリの眉間のしわが一つ増える。
「ベッドをあけ渡してさっさと出て行け。俺はもう一刻も早く寝たいんだ」
「ああ、うん、ビシージとかいろいろおつかれさま〜」
むにゃむにゃと寝ぼけ眼で労いの言葉を掛けると、ミシィは布団から出……ようとはせずにベッドの隅に体を寄せた。
「……おい」
「だいじょうぶだいじょうぶ、兄さんあったかいし」
何が大丈夫なんだ。
「自分のレンタルハウスに戻れ!」
「うちのハウス天井に雨漏りがおこっちゃってさ〜、今立ち入り禁止になってんの」
「だからってお前、なんでウチに来るんだ。リューンやらリココやら、LSには女連中もいるだろう」
「二人とも狩りに出ててレンタルハウス引き払ってて、ウィンダス帰るより兄さんちの方が近かったし」
ベッドの隅で体を丸くして、ミシィは再度寝る体勢に入る。トーリを無視して。
「もういいじゃん、寝ようよ〜。昔はよく一緒に寝てたじゃん。も、ほんと眠いん……」
「おい!」
すうすうと寝息。どうやら本気で眠りについたらしい。トーリは思わず天を仰いだ。
「勘弁してくれ……」
兄妹のように育てられた幼なじみ同士とはいえ、相手はもう十八歳の少女だ。子供の頃とは違う。全然違う。
しかしトーリの方も限界に近づきつつあった。
とにかく寝ていない。その上、移送の幻灯を使ったとはいえ、遠くアラパゴまで行って神経を使う捕虜救出を行ってきたばかりだ。
眠い。ベッドにもぐりこみたい。
だがほどほどの広さのベッドの半分は熟睡したミスラが支配している。
だが眠い。本当に眠い。
「あー……もう、知るか。
年頃の恥じらいとか、ないのか? 嫁入り前の娘が……」
ぶつぶつ言いながら軽く頭を振る。
シャントット博士に賜ったウィザードペタソスをいつもの位置に丁重にしまうと、着古したエラントウプランドとサラウィルを床に脱ぎ捨てて、トーリは残ったスペースに体をもぐりこませた。
疲れた体を覆うように、微かに、柔らかいミシィの匂いがした。

なんだか懐かしい、泣きたくなるような夢を見た。
全体的におぼろげなその中で一番記憶に残ったのは、子犬のようにまとわりつく幼かった妹の――

「……む」
目を覚ますと、夢の中と同じ匂いがした。温かい。
ついで、少し褐色がかった艶やかな肌と白いサラシが目前一杯に見えた。
「……!!」
それを引き剥がすように飛び起きる。
ミシィの胸元に抱きすくめられていた、ことに、なるんだろう。
少女が着ていた東方系の装束がはだけて、サラシに包まれた胸があらわになっている。
心臓が音を立てて鳴っている気がする。実際さっきは口から飛び出そうだった。
ベッドからずり落ちそうになりながら顔中を真っ赤にして動揺しているトーリに対して、幼なじみの娘はのん気なものである。少々乱雑に扱われたくらいでは起きないのか、すうすうと気持ちよさそうな寝息を立てていた。
どうにか気持ちを落ち着かせようと深呼吸しているうちに、なんだか腹が立ってくる。安らげる筈の自分のハウスで、なんでこんなに動揺せにゃならんのだ。
一瞬、気楽に寝こけるままのミシィの頭を叩きたい思いに駆られたが、起きたら起きたで面倒くさいと考え直し、とりあえずベッドから降りて顔を洗いに行く事にした。
ミシィに布団を被せてベッドから出る。
寝起きの悪いトーリにしては珍しい事に眠気はもうなく、気分はさっぱりしている。思ったよりも満足して眠れたのかもしれない。それが幼なじみのおかげだとは思いたくはないが。
仮に万が一もしかしたらそうなのかもしれないが、なんだかしゃくに障るのである。
……しゃくには障るのだが。
「まあ、実際、そうなのかもしれんなぁ……」
温かい匂い。規則正しい寝息。久しく感じていなかった柔らかい体温。
安らげる誰かと一緒にいるという安心感。
それは確かに、郷愁を伴ってトーリの心に沁みいってくるものだった。
振り返ってベッドを見る。布団にくるまって笑みを浮かべる幸せそうな妹の姿がある。
幼い頃から当たり前のように隣にあった柔らかな感触。
「ご主人? お湯が沸いたクポ」
モーグリの声にはっとするまで、トーリはぼんやりと眠り続けるミシィの姿を見ていた。


"sleeping double" is over!
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